お問い合せ

池上 彰のやさしい経済学2 ニュースがわかる ⑮

ニクソンショックでドルの価値はどんどん下がっていった

最初のうち、アメリカは約束を守ってドルを金と換えていきました。

その結果、アメリカが持っている金の量が急激に減っていきました。

このままでは金がなくなってしまうとアメリカが気がつきます。

そこで1971年、アメリカのニクソン大統領が、もうドルを金と換えてあげないからね、という

宣言をしました。アメリカのドル紙幣は単なる紙切れになってしまいました。

でも他に世界のお金として使えるものがなかったので、世界の国々はその後もドルは使います。

ただし金とその裏付けがなくなったわけですから、ドルの価値は下がりました。

このニクソンショックの直後に金1オンスは38ドルに上りました。

この後も金の値段はどんどん上がっていきました。

逆に言えば、ドルの価値はどんどん下がっていったのです。

 

ニクソンショック:1971年にニクソン大統領が発表した金とドルの交換停止のこと。

 

「アメリカ経済の衰退」

マーシャルプランで注ぎ込まれたお金は、4年間で総額140億ドルと言われています。

現在のお金でおよそ37兆円です。この結果、ドルが大量に世界中に出回りました。

一方でヨーロッパにおけるアメリカの影響力を懸念したソ連は、連合国軍によって分割統治

されていた西ベルリンを封鎖し、東西冷戦が本格化していきました。

その後アメリカは1950年の朝鮮戦争、1960年からはベトナム戦争にも介入し、このときも

大量のドルを注ぎ込みます。ベトナム戦争の悪化に伴いアメリカ経済は弱体し、保有する金は

みるみる減っていきました。そして1971年、ついにニクソン大統領が金とドルの交換を一時的に

停止するよう指示しました。これは通貨の安定とアメリカの国益を守るための決断だったのです。

 

1ドル=360円のレートは、日本経済発展のために決められた

ニクソンショックの前までは、日本の円は1ドル=360円で固定されていました。

戦後、アメリカは日本を占領していました。やがて日本とアメリカの間で貿易が再開され、

1ドルをいくらにするかということを決めることになりました。

そこでアメリカの調査団がやってきて日本経済について調べた結果、当時の日本の経済力では

1ドル=320〜340円くらいがふさわしいという報告書をまとめました。

アメリカとしては、仲間である日本の経済を発展させるためには日本に有利なレートにした方が

いいわけです。であれば1ドル=320〜340円より、360円にしたほうが日本にとって有利です。

つまり本来の円の実力よりも安いレートにしてくれたのです。

1ドル=360円という日本にとって非常に有利な交換レートに設定されたことによって、

日本は輸出大国としてどんどん発展していくことになります。

 

スミソニアン体制で一気に52円も円高になった

ニクソンショックによりドルが金と交換できなくなって、ドルの信用はガタ落ちになりました。

その結果、世界中で大混乱が起きたため、1971年12月に急遽アメリカ・ワシントンのスミソニアン

博物館で緊急会議が開かれました。この会議で、世界のそれぞれのお金を1ドルいくらにするのかと

いう相談をしました。それによって決まったもの、これを「スミソニアン体制」と言いました。

このときブレトンウッズ体制からスミソニアン体制に変わったのです。

そして1ドルは308円になりました。1ドル360円から一気に52円も円高になったのです。

1ドル=360円が308円になったということは、360円出さないと買えなかった1ドルのチョコレートが、

308円で買えるようになるわけです。ということは円の価値が高くなったわけですね。これが円高です。

 

スミソニアン体制:ニクソンショック後、ワシントンのスミソニアン博物館で先進10カ国蔵相会議で

合意された新通貨体制。固定為替相場制の維持を目指した。このとき1ドル=308円に引き上げられた。

 

[補足講義] 円安だと、なぜ経済が発展するのか

安いレートが、なぜ日本にとって有利なのでしょうか。

例えば日本からアメリカに1万ドルの商品を輸出したとしましょう。

1ドル320円であれば日本が受け取るお金は320万円ですね。

でも1ドル360円だと1万ドルの商品を輸出すれば360万円受け取ることができます。

つまり1ドルが320円よりは360円にしたほうが日本の経済は発展する。

アメリカはこのように考え、わざと円安の水準で円を固定したのです。

1ドル320円を360円にすることがなぜ円安なのか。

1ドル320円であれば320円払えば1ドルのものが買えますが、1ドルが360円になると360円払わなければ

1ドルのものが買えない。つまり円の値打ちが下がっている、これが円安ということです。

これによって戦後日本はアメリカへの輸出を伸ばし、経済が発展していきました。

日本経済が非常に発展し日本製品がどんどんアメリカに輸出されたことによって、逆にアメリカの

産業がすっかり弱体化してしまいました。

悲鳴をあげたアメリカが、それでは困る、日本は円高にしてくれということで「プラザ合意」に

つながっていくのです。

 

 

 

この続きは、次回に。

 

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