お問い合せ

池上 彰のやさしい経済学2 ニュースがわかる ㉙

世の中に出回るお金の量を減らして、インフレを退治する

そこで占領軍や日本の政府は、世の中にあふれているお金を何とか減らそうと考えます。

政府は円を新しい円に換えてしまう新円切替を実施しました。

まず、新円に切り替えるために預金封鎖を行います。

これで世の中に出回るお金の量を一挙に減らしてしまおうと考えました。

 

新円切替預金封鎖:終戦後のインフレ対策として行われた金融政策。

従来紙幣を強制的に預金させ旧円の流通を止め、預金引出額を制限した上で新円に切り替え、

市中に出回る紙幣の量を減らした。

 

インフレの原因は大量の引揚げ者

終戦直後、およそ330万人の軍人や軍関係者が外地にいました。

シベリア抑留者や外地で戦争犯罪人にされた人たちなどを除いて、中国本土から140万人、

東南アジアから79万人、ソ連から45万人など約310万人が日本に引揚げてきました。

人々が一斉に日本国内に戻り、新たな生活を始めようとしたことが、急激なインフレの原因と

なったのです。

 

[補足講義] 日本の預金封鎖はなぜ成功したのか

1946年に預金封鎖が行われたとき、いくらの預金を引き出すことができたのでしょうか。

まず、世帯主は月300円、家族1人につき100円。3人家族なら500円ということになります。

500円は新しいお札で渡しましょう、残りは封鎖預金に入れておきます、というかたちをとりました。

つまり一定額以上の預金しか引き出せなくなりましたが、残りの預金を全部紙屑にしてしまうと

いう北朝鮮のデミノのような乱暴なやり方はしませんでした。

預金を預けたら一度には引き出せませんが、少しずつ引き出せるようにし、とりあえず毎月

引き出せるお金の量を減らしたのです。これによって日本中に流れていたお金の量が激減しました。

一挙にインフレを退治することができたのです。

日本の場合は経済のことがわかっている指導者がいたから預金封鎖等思い切ったやり方をとることが

できたのです。

 

GHQの占領政策1—財閥解体

日本の経済を新しくしようとGHQが行ったのが、財閥解体でした。

当時日本にはさまざまな大きな財閥がありました。

特に三井財閥、三菱財閥、住友財閥、安田財閥の4大財閥が有名です。

安田財閥というのは、いまの芙蓉グループです。

かつての富士銀行(現みずほ銀行)、安田信託銀行、安田火災など安田あるいは富士という名前が

ついた企業がいわゆる安田財閥です。

最近よく格差社会と言われますが、太平洋戦争が終わる前の日本の格差は、いまの格差どころでは

ありませんでした。どれくらいの格差があったかと言えば、財閥の本家の社員の冬のボーナスで、

東京都内に一軒家が買えたと言われています。

いまのお金のイメージだと5,000万円くらいだと考えてください。

その一方で貧しい人たちも圧倒的にいたわけです。

GHQはこの財閥を解体させます。

また財閥というまさに封建領主のようなかたちで本家の人が君臨すると、それ以外の社員たちが

みんな本家の言うことを聞くわけです。

それではまるで封建制度だ、ちゃんとした資本主義の社会にしようということになりました。

 

4大財閥:三井財閥・住友財閥・三菱財閥・安田財閥

 

財閥解体:財閥とは、同族による独占的な出資のもと大企業を支配し多角的経営を行う形態のこと。

GHQはこれを日本のアジア侵略の原因として解体を命じた。

 

本家社員の優雅な生活

毎年のボーナスだけで都内に一軒家を買えたので、本家の社員は勤めている間に都内に何軒もの

家を持つことができました。

そして定年退職後にそれを貸し出し、その家賃収入で悠々自適の生活ができました。

当時、東北などから出稼ぎにきた女性たちは、住み込みでお手伝いさんをする人もいました。

東京のいわゆる山の手というちょっとした住宅街には、どこの家にもみんなお手伝いさんがいたのです。

 

財閥解体による経営陣の若返りで日本経済が活性化した

この財閥解体の時に、財閥のトップにいた人たちが次々に追放されていきました。

これを財界追放と言いました。50代、60代あるいは70代の経営陣たちが戦争の責任をとらされる

かたちで追放されたのです。

会社からトップの人たちがいなくなったため、30代、40代の社員たちが会社の社長や役員に

ならざるを得なくなりました。こうして日本中で企業の経営陣の若返りが図られました。

40代で会社の社長になると、まだ何十年もその会社で働くわけですから会社の発展を考えます。

それなら少しでも会社を大きくしようかという発想になります。攻めの姿勢になっていくんですね。

こうしていろいろな企業が活性化し、日本経済がどんどん発展していく活力となりました。

 

ある日突然、重役になったら—–

源氏鶏太という人が書いた『三等重役』という小説が、当時大変ヒットしました。

その頃は国鉄が日本中を走っていましたが、一等車、二等車、三等車という区分がありました。

普通の庶民が使うのは三等車です。所詮自分は三等車に乗るような人間だと思っていたら、

財界追放で経営陣が全員追放されてしまって、ヒラのサラリーマンがある日突然重役になっちゃった、

さあ困ったという悲哀を書いた小説です。

 

 

この続きは、次回に。

トップへ戻る