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人を動かす経営 松下幸之助 ⑳

第三章   人間の経営

 

心はどのようにも動く大激論のあとのふしぎな変化

 

お互い人間は、ときにふっと自分自身を見つめることがある。

一生懸命に生活し活動を進めている間は、自分自身はどこかに忘れて、ただその瞬間瞬間の状況に

応じて考え、行動しているようなきらいがある。

けれども、そういう姿の中において、何かきっかけがあれば、ふっと自分自身に気づく。

そして、自分の姿を静かに見つめ、考える。それが一つの反省につながる。

 

※   省略致しますので、購読にてお願い致します。

 

私はおどろいた。そんなことは、今日ではもうある程度常識的なことなのだろうが、そのときには、

私は知らなかった。われわれがつねに日ごろ鉄でできたものを見ていると、少しも動いてはいない。

むしろ、どっしりと重く、おちついているとも思えるのが鉄のイメージである。

ところが、その鉄の中では、こうした模型であらわされているような原子が、間断なく動いていると

いうのである。そういうことがなぜわかったかというと、それはやはり科学の進歩によるわけである。

そしてその科学の進歩を生み出したのはだれかというと、これは人間である。

人間がそういう偉大な成果を生み出しているのである。

私はそういうことを考え、人間の偉大さにつくづく感動した。大きな感銘をおぼえた。

そこで、昼からの議論の再会にあたって、まずそのことを話した。

「私は先ほど、科学館へ行って原子の模型を見た。そして心から感銘をおぼえた。

まことに人間の力は大きい。すぐれたものを持っている。また一方で、やがてアポロ十一号が月へ

向けて飛び立つという。それほど人間の知恵は高まり、科学も進歩しているのだ。

まことに人間は偉大である。

にもかかわらず、人間と人間との関係は決してそれほどには進歩していない。

いまだに互いに不信感を持って憎しみあったり、ケンカしたり、各地で闘争、戦争のようなことまで

くり返している。また平和な街にあっても、人と人とは内心で醜い争いをやっている。

どうして人間と人間との間は進歩しないのだろうか。人と人との間においても、もっと互いに信ずると

いうか、相手のあやまちを指摘して責めるだけでなく、相手のあやまちを許し同情して、互いに共存

共栄していくことに努力しなくてはならないと思う。

科学は進歩するが人間の心の進歩、精神の進歩がないということは、むしろ大きな不幸がおこることに

つながるかもわからない。

核兵器をつかって殺しあいをするようなこともおこりかねない。

現に日本は原子爆弾をおとされ、大災害を受けたのである」

私は、昼にそういうことをつくづく感じたので、感じたままを素直に話したわけである。

交渉相手の人たちは、私が何を話し出したのかと、はじめはふしぎそうな顔をしていたが、しかし

興味深そうにじっと耳を傾けてくれた。

そして私が話しおわると、なんとなく静かな雰囲気になった。

午前中の雰囲気とはすっかりちがうものになった。空気がガラリと変わったのである。

午前中には机をたたくほどの大激論となり、そういう話をして会議に入ったら、まことに静かで、

おちついた雰囲気になった。しかも、私がそれまで主張していたことがすべて受け入れられた。

あなたの主張しているとおりにいたしましょう。ということになった。

急転直下、決裂寸前の交渉が成立してしまったのである。

あまりの意外さに、私自身がおどろいた。そういった結果を期待してそんな話しをしたわけではない。

昼休みにブラリと入った科学館で、なにげなく原子の模型に目がとまって説明を聞き、感じたことを

そのまま話しただけである。ところが、それを聞いた相手の人びとは、すっかり態度を変えてしまった

のである。まことにふしぎといえばふしぎである。

これはどういうことかというと、実際のところはよくわからない。

けれども、一ついえることは、人間の心というものは、どのようにも動く、ということである。

考え方一つである。憎みあい、なぐりあうのも人間の心の姿である。

親しみあい、手をにぎり会うのも人間の心の働きである。

非常幅広い動きをするのが人間の心である。

われわれが、経営なり日々の活動を進めていく上においては、そういう幅広い動きをする人間の心と

いうものを、十分に認識しておくことが大切ではないだろうか。

 

 

この続きは、次回に。

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