お問い合せ

人を動かす経営 松下幸之助 ㊶

あきらめたらおしまい十五万円の無条件貸付

 

人にものを頼んだりする場合の説得はなかなかむずかしい。

アッサリと引き受けてくれればいうことはないが、現実はなかなかそう簡単にいかない場合も多い。

やはり、何かと理由を持ち出し、依頼を断ろうとしたり、何か条件をつけて遠回しに断ろうとする

ような場合も少なくない。

しかしながら、断られて、それであきらめていたのでは事は進まない。

断られればついついあきらめたくなるのが人情でもあろうが、しかし、あきらめることはそれでおし

まいということにもなりかねないのである。

昭和三年、松下電器は何度目かの新工場建設を進めようとしていた。

土地が五万五千円、建物が九万円、内部設備が五万円、合計十九万五千円という、当時としてはやや

本格的な大工場である。

この工場をぜひ建てたいと考えたのである。

問題はその十九万五千円である。手元には五万円しか余裕がない。差し引き十四万五千円が不足である。

不足分の方が多いわけだが、これだけの資金をなんとかしなければならない。どうするか。

どうするかといっても、結局、道は一つ、借金しかない。銀行から借り入れなければどうしようも

ないわけである。

そこで私は、銀行からの借り入れを決意し、取引銀行の支店長に会った。

そして、新工場の建設計画を説明し、十五万円の借り入れを申し込んだ。

支店長は、いろいろと質問したが、私は実情をありのまま話して説明した。

生産の状態、販売の状況、資金の回収状態等、くわしく説明したのである。

私の話を聞いて支店長は大きくうなずいて言った。

「わかりました。大変結構なご計画だと思います。しかし、十五万円ともなりますと相当大きな額で

すから、一応本店と相談したうえでご返事させていただきます」

支店長の好意的な話に私は満足して引きあげた。あの調子ならたぶん借り入れはできるであろう。

が、やはり返事をもらうまではわからない。どうなるか。二、三日して返事がきた。

十五万円を用立てする、という返事である。

やはりそうか、よかった、と思う私に、支店長は続けて次のように言った。

 

「—-しかし、この額のぜんぶを無担保でお貸しするのはちょっとむずかしいのです」

「——」。私は支店長の顔を見つめた。

「十五万円というと、ふつうは時価二十万円以上の担保物件が必要です。しかし、松下さんにそれを

求めるつもりはありません。実情をお聞きして、適当な担保物がないことは承知しております。

—-そこで、こんどお買いになる土地と、建設する建物とをそれにあててください。

不足分は信用でご融通しますから—-」

私はありがたいと思った。私が担保にできるものといえば、実際いって、今のところ五万円で買い

入れる土地だけである。それしかない。

建物はまだできていないのだから、当面はその五万円の土地だけである。

それで十五万円の担保にしてくれるのだから、これは私に対してずいぶん優遇してくれているわけで

ある。その点は、私はありがたいと思った。

だから、その支店長の返事をありがたく受けるのがふつうである。

とにかく、それで必要な金を借りられるのだから、それで事は決まり、となるのが当たり前である。

ところが、そのとき私は、それで決まり、とはしなかった。それはなぜか。

私の心の中には、〝信用〟という二つの文字がひっかかっていたからである。

不動産を担保に差し入れて銀行から借金するという事は、着実に発展していく松下電器の信用という

点から見ると、やはりこれは好ましいとは言えない。

しかしながら、好ましくはないけれども、なんといってもこちらは金を借りる立場である。

いってみれば、弱い立場である。あまり、好き勝手は言えない立場である。だから、好ましくない

けれども、ここはもうあきらめて、信用については目をつぶり、このままで話が決まったとしても

一面仕方がないわけである。けれども、私は考えた。あきらめてそのようにすれば、今のこの時期は

それで事がすむであろう。しかし、松下電器の事業というものは、今の時期だけのものではない。

この仕事、この経営は将来も引き続いてやっていかなければならないものである。

しかも、逐次発展させていかなければならないのである。

一時期だけのものではない。長い目で見なければならない。経営というものは、あすもあさっても

続けていくものである。来年も再来年も続けていくものである。そういうことを考えてみると、今の

この時期だけの都合で、松下電器の信用にマイナスを与えるようなことをしていいのかどうか。

これは、よく考えて見なければならない。

あきらめてしまうことは簡単である。そんなことはいつでもできる。

しかしながら、あきらめてしまえば、それで事は終わりである。だから私はあきらめなかった。

「お話は大変ありがたいのですが、しかし不動産を担保にして借金することは、やはり今の松下電器に

とっては好ましくないと思います。まことに申し上げにくいのですが、これはひとつ無条件貸付にして

いただけないでしょうか」

支店長は私の顔を見つめたまま黙っている。私は続けた。

「返済につきましては、二カ年もあれば十分できますからご安心ください。それと、土地の権利書、

そして建築する建物の保存登記権利書はオタクの銀行にお預けいたします。ですから、どうかもう

ひとつご信用いただいて、無条件で十五万円、お貸し願えないでしょうか」

 

支店長は深くうなずいて言った。

「わかりました。結構です。私としてはご希望に添いたいと思います。本店にも承認してもらうよう

なんとか努力することにいたします」

 

二、三日して銀行から通知があった。私の希望どおり、無条件で十五万円の貸付をしてくれることを

正式に決めてくれたのである。

 

 

 

この続きは、次回に。

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