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新装版 こころの朝 ③

4 他人の目を気にせずに、自分らしく、自分に恥じない生き方を

 上杉謙信の、生きる道

 

謙信は、自身の座右の銘を示している。

「中国に、『三人行けば必ず我が師あり』という教訓がある。三人集まれば、必ず自分以外の二人から学ぶところがあるという意味だ。

他の二人かの言動を見ても善いところがあれば手本として、悪いところがあれば同じ過ちを犯さないための戒めとしていくのだ。私は、この精神で、今日まで生きてきた。

自分が精一杯やったかどうかは、他人の目ではなく、自分の心を証人として判断すべきである。たとえ素晴らしい働きをしたのに、周囲からまったく評価されなくても、誰も恨む必要はない。自分で、自分に、『おまえは、よくやった』と言えるならば、それが一番いいのだ。他人の目を気にして、その場を取り繕ったり、ウソ偽りを並べたりするのは、愚かなことである。」これが、戦国武将・上杉謙信の心情である。

自分らしく、自分の心に恥じない生き方をする人は、最も強い人である。

 

あれを身よ みやまの桜先にけり 真心つくせ 人しらずとも

 

5 失敗や敗北には、必ず原因がある。「運が悪かった」とアキラメては進歩はない

 無敵、武田軍団の秘密

 

「よく考えみよ。城にこもって勝利を収めた例は、あまり聞かない。たとえ、どんな堅固な城を造っても、守る人が弱ければ必ず敗れる。

大将たる者は、ひたすら将兵を信頼し、常に敵を打ち破る方法を考え続けていなければならぬ。これは城を普請するよりも大仕事なのだ。領民の心をつかみ、指揮官から一兵卒までの鉄の団結を築いてこそ、最大の防御になる」

 この精神を詠んだ歌が、有名な、

「人は城 人は石垣 人は堀 情けは見方 仇は大敵」である。

また、信玄はつぎのように言っている。

「まさか負けるはずがないと思う戦に負けたり、滅びるはずがないような家が滅びたりすると、人は皆、天命だという。だが、私は天命だとは思わない。それは皆、やり方や心構えが悪かったから破局を迎えたのだ。常日頃、規律を守り、研究工夫していれば、負けるはずがない」運命とか宿命などと言ってあきらめていては、進歩も向上もない。失敗や敗北には必ず原因がある。それは主に、人の心の緩みや不和、怠慢から生じる。

リーダーである信玄の任務は、武田軍団の一人一人が、城となり、石垣となり、堀となる自覚を高めるように働きかけることであった。

権力を誇る巨体な城がなくても、人と人との結束を大切にし、人材の育成、登用に心がけたからこそ、“無敵の武田軍団”と恐れられるようになったのである。

 

6  権威や伝統に左右されず、流行や周囲の考え方にとらわれず、自分の目で確かめて歩んでいく

 坂本竜馬、日本発の新婚旅行へ

 

「来てみれば さほどでもなし 富士の山」という歌があるように、遠くから見れば美しく、皆が褒め称えているものであっても、近くへ行って見るとガッカリすることがある。

幕末の混乱の中で、竜馬は、将軍や大名、日本のあり方を冷静に見つめていた。権威や伝統に左右されず、流行や周囲の考えにとらわれず、自分の目で確かめてから行動しようとしていた。この精神があったからこそ、一介の素浪人に、日本の歴史を動かすような活躍ができたのであろう。

 

7 どんなに苦しくとも、「約束は必ず守る」を貫いていると、大きなチャンスがやってきた

 服部時計店、大飛躍の秘訣

 

「大飛躍の秘訣は、何ですか」

小さな時計店を、短期間で、日本を代表する企業に育てた服部金太郎は、

「チャンスをとらえたのではない。正直に努力しているうちに、チャンスが、やってきたのだ」と答えている。

急成長の原因は、何だったのか。それは、服部金太郎が、取引の約束を、必ず守ったからである。まさに、信用は、巨万の財産に匹敵する。

 

徳は元 財は末なり 徳積めば 金は自由になるものと知れ

 

 

この続きは、次回に。

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