完訳 7つの習慣-人格の回復-7
第一の偉大さ、第二の偉大さ
私はなにも、個性を伸ばすこと、コミュニケーションスキルのトレーニング、他者に影響を及ぼす戦略、ポジティブ・シンキングといった個性主義のさまざまな要素が成功に不要だと言いたいわけではない。
それどころか不可欠な場合もある。
私が言いたいことは、たしかに成功にはこれらの要素も必要だか、あくまで第一の要素ではない二次的な要素だということだ。
人間は前の世代が築いた土台にさらに積み上げていく能力を与えられているというのに、その能力を使わず、自分の成功を築くことだけに目を向け、成功を支える土台のことを忘れてしまっていないだろうか。
種も蒔かずに刈り入れることだけを考えてきたせいで、種を蒔く必要すら忘れてしまってはいないだろうか。
二面性や不誠実など人格に根本的な欠陥がありながら、人に影響を及ぼす戦術やテクニックを使って自分の思いどおりに人を動かしたり、もっと仕事の成績を上げさせたり、士気を高めたり、自分を好きにさせたりしようとして一時的にはうまくいったとしても、長続きするわけがない。
二面性はいずれ相手の不信感を招き、どれほど巧みな言葉を使っても、たとえ善意からだとしても、効果は望めない。
信頼という土台がなければ、成功は長続きしないのだ。
基礎となる人格の良さがあって初めて、テクニックも生きてくる。
テクニックだけを考えるのは、一夜漬けの勉強と似ている。
一夜漬けで試験をうまく乗り切れることもあるだろうし、良い成績だってとれるかもしれない。
だが、日々の積み重ねを怠っていたら、教科をしっかりと習得することはできないし、教養ある人間にはなれない。
農場に一夜漬けは通用しない。
春に種蒔きを忘れ、夏は遊びたいだけ遊び、秋になってから収穫のために一夜漬けで頑張る。そんなことはありえない。
農場は自然のシステムで動いている。
必要な務めを果たし、定まった手順を踏まねばならない。
種を蒔いたものしか刈り取れない。そこに近道はないのだ。
第二の偉大さ(才能に対する社会的評価)に恵まれていても、第一の偉大さ(優れた人格を持つこと)を欠いている人は多いものである。
人格こそが第一の偉大さであり、社会的評価はその次のくる第二の偉大さである。
「耳元で大声で言われたら、何が言いたいのかわからない」とエマーソン(訳注:米国の思想家)も言っているように、無言の人格こそ雄弁なのである。
突き詰めれば、あるがままの自分、人格が、どんな言動よりもはるかに雄弁なのである。
ウィリアム・ジョージ・ジューダン(訳注:米国のエッセイスト)は次のように述べている。
「すべての人の手に、善または悪をなす巨大な力が委ねられている。
その力とは、その人の人生が周りに与える無言の、無意識の、見えざる影響である。
見せかけではない真のあなた自身の影響が、常に周囲に放たれている。
この続きは、次回に。