日本型イノベーションのすすめ-④
欧米型イノベーションは「入り口」での意図的非連続
2 組織に帰属して安心してこそ、力を発揮する日本人
日本人の「こと」発想、欧米人の「モノ」発想
日本人は、この「もの」と「こと」という表現を日常頻繁に使いますが、両者の存在論的な違いを意識していることはほとんどないと思います。
「もの」という概念は、印欧語にも対応のあるものです。
むしろ、欧米的な概念に近いのでカタカナで「モノ」といったほうが適切かもしれません。しかし、この「こと」という概念は日本語にしかないものです。
少なくとも、印欧語には対応のない概念です。
簡単にいえば、りんごが木から落ちるのをみて重力を発見するのが「モノ」的発想であるとすれば、それを「うつろひ」として「いとをかし」とするのが、「こと」的発想であり、日本人の好むところです。
欧米的な「モノ」が、リアリティ(一般性)の追求と再現を通したコントロール(機能設計)中心の世界観であるのと対照的に、日本的な「こと」は、一回性という再現性のないアクチュアリティ(固有性)の経験という過程(プロセス遂行)中心の世界観であるといえます。
特異な日本人の自己構造—木を見る西洋人、森を見る東洋人
米国の著名な社会心理学者のニスベットは、これを「木を見る西洋人、森を見る東洋人」と表現しています。
どういうことかといいますと、欧米人は、木そのもの(要素)に目がいき、東洋人は、木と木の関係(全体)に目がいく、つまり、自分をつねに他の人との関係の中で認識していくというわけです。
そのなかでも、特に、日本人はこの傾向が強く、関係性を非常に重要視します。
これは、印欧語に比べて、日本語が、非常に高文脈な言語であることも関係していると思います。
日本人の強さは、個人ではなく、集団にある。
「場をしのぐ」「場を外す」「場違い」といった場合の「場」とは、この集団が形成する一人称性をもった相互主体性のことを意味しています。
このような日本社会では、強く自己主張する人よりも、周囲とのバランスを大事にする人のほうが、人気があります。
最近の子供達が使う「KY(空気よめね–)」もこれと同じです。
この点が、他人はどうであれ自分の考えを貫く欧米人とはまったく違うわけです。
日本人にとって重要なのは、「考える」「主張する」「選ぶ」という欧米人の自己中心のスタンスではなく、「思う」「共感する」「合わせる」という他者の存在を前提とするスタンスになるわけです。
ここに、日本人の強さが、個人にではなく、集団にあることが構造的にみてとれます。
役割に存在価値を見出す日本人—役割ナルシズム
日本人は、アメリカ人のように組織に参加するのではなく、組織に帰属する傾向が強いのです。
日本人にとって、自己の役割の安定化が重要ですので、それを担保する安定的な役割構造とその維持・強化は非常に重要な問題となります。
このことは、日本人は、安定的な役割構造の存在を脅かす不確実性一般に対する耐性が低いことを意味しています。
この視点で、革新と刷新を考えてみましょう。
「革新」は、組織・慣習・方法などを変えて新しくすることであるので、現状の否定から始まることを前提とした非連続の追及といえます。
つまり、現在の仕組みの基底の否定(=継続性の否定)を前提においています。
一方、「刷新」は、弊害を除いて事態をまったく新たにすることであるので、結果としての非連続の可能性はありますが、現在の仕組みの基底の否定を前提として不確実性を高くしないことが重要な日本人にとっては、革新がフィットしないのは明確ではないでしょうか。
逆の意味で、「刷新」は、変化のためには現状否定から始めざるを得ないアメリカ人には、フィットしないのです。
今、われわれに求められているのは、猿真似ではない、日本人が納得できるアプローチでの自信回復なのです。
この続きは、次回に。