ドラッカーとの対話 未来を読みきる力 16
7章 世界の流れとドラッカーの歩み
—–ドラッカーとの1時間/1992年のインタビューから
私のひと目惚れ
かれこれ60年前のことですが、たまたまロンドンで開かれていた日本の絵画展を見る機会が
あったのです。
その場で日本美術と〝恋に落ちて惚れ込んで〟しまいました。
私がロンドンの銀行でエコノミストとして働いていた若いころのことです。
それ以来、その〝恋〟からぬけだせないでいます。
実は私がいつも強く思っていることですが、ある国について研究するためには、
その国の歴史や文化や、伝統について何かを知る必要がありますが、日本の場合は、
それは主として視覚的な芸術ということになると思います。
日本は知覚の鋭い国であり、目で見る芸術が何よりも日本の本質を表しているのです。
視覚に偏っているということは、日本人の人事管理のしかたにも反映されていますか?
たしかに反映されている面もあります。また、日本の教育訓練の方法は、多かれ少なかれ
禅の伝統的な学習(ラーニング)の仕方に影響されていると思います。
たしかに、歴史や伝統を知ることは、その国の人が何を当然と考えるか、何を見てるか、
ものごとをどのように感じて受けとめるかを理解するのに役立ちますね。
どの国も、その国の現代社会だけを見ていては、大きな間違いだと思います。
どの社会にも深いルーツがあるのですから。
学習と脱学習
競争力というものは、今やますます知識を生産的に使うという我々の能力に依存するように
なってきています。
知識すなわち知ることとは、その定義上から言っても、絶えざる学習を要求します。
したがって成人による継続学習が前提とされなければならなくなったという点が、
我々の文明が変化したことのカギだと思います。
ある期間で学習が終わるという考え方や、学習は学校だけで行われるという考え方は、
もはや時代遅れなのです。
学習には、2つの概念があります。
ひとつは西洋でも広く行われていますが、いわば儒教的な考え方で、次の仕事や昇進のための学習です。
もうひとつは禅の考え方で、芸術家の考え方とも言えますが、すでにうまくいっていることについて
それをいっそう深める学習です。
渋沢栄一を見直せ
私に最も影響を与えた人は、アメリカ人2人と日本人1人です。
最初に出会ったのは日本人で、渋沢栄一です。そして次が、アルフレッド・スローンです。
それから、第2次世界大戦のときの米軍の参謀総長ジョージ・マーシャルです。
この続きは、次回に。