ドラッカーとの対話 未来を読みきる力 29
「企業家と革新」についての自選名言集
『イノベーションと企業家精神』ではめずらしく戦略論を展開しているので、ドラッカーの戦略、
それも経営戦略一般ではなく、企業家の戦略について見ていこう。
彼は、それには3つあるという。
その第1は、「総力をあげて、最初に強力に攻撃すること」である。
これは、南北戦争のとき、南軍の騎兵隊の将軍がその連戦連勝の秘訣を語った言葉から
とったものである。しかし、これだけではきわめてリスクが高い。
そこで、第2のストラテジーは、「だれもいないところ、すなわち隙間を突け、
手薄なところを叩け」である。これまた、さきの将軍の言葉である。
またこの戦略を、「企業家的柔道」だとも言っている。
敵の力を利用し、その弱味を突き、見逃しているところを押さえるのが、このスキマ攻略の
やり方だからである。
第3の戦略には、〝エコロジカル・ニッチ〟という妙な名称がついている。
ギゴチナク直訳すれば「生態学的小規模特殊位置確保」とでもなるのだろうが、
要するにこれは、前述の戦略が市場や業界におけるリーダーとしての地位確保、支配力保持を
意図したのに対し、むしろ小なりといえど一定の場を独占し、競争しないでも済むように
「競争への免疫力をつけよう」という発想である。
<企業家と企業家精神について>
「企業家とは、その定義によれば、生産性が低く成果の乏しい分野から、生産性が高く
成果の大きな分野に資源を動かす者のことである」
「企業家は、個人的な性格とは関係がない。実際のところ、私は過去20年間において、
すべての企業家に共通する企業的性格というものに出会っていない。
逆にじつにいろいろな性格の人たちが、企業家的な挑戦に見事に対応しているのを見てきた」
「企業家は変化を健全かつ当然のことと見る。企業家自らが変化を引き起こすとはかぎらない。
むしろ企業家が変化を起こすほうがまれである。
しかし企業家とは、変化を探し、変化に対応し、変化を機会として利用する者である」
<イノベーションについて>
「イノベーションとは、資源に対し、富を創造する新たな能力を付与するものである。
資源を真の資源たらしめるものが、イノベーションである」
「科学技術のみならず、経済や社会の領域でも事情はまったく変わらない。
経済における最大の資源は購買力である。
この購買力にしても、企業家が創造すべきものである」
「イノベーションそのものの理論は、まだ構築されていない。
しかし、イノベーションの機会をいつ、どこで、いかに体系的に探すべきかということや、
成功の確率と失敗の危険をいかに判断すべきかということについて、すでに明らかになっている。
輪郭だけではあるが、イノベーションのノウハウを発展させるうえで必要な知識も
十分手に入っている」
<ハイテク企業について>
「ハイテクは明日の担い手であり、今日の担い手ではない」
「今日、ヨーロッパにおいて、そして日本においても、イノベーションと企業家精神は
ハイテク企業だけの問題と見なされている。しかし、これほど危険な間違いはない。
山麓抜きに富士山の山頂を考えるのに似ている」
「今日、ハイテク産業の多くがエジソン風に(すなわち、いったん革新家として成功するが、
それに固執したがゆえに失敗するというように)誤って経営されている。
ハイテク産業の多くが、華々しい脚光、急激な成長、突然の失速、そして完全な崩壊という
古典的なパターン、すなわちわずか5年のうちに『ぼろから錦へ、錦からぼろへ』という
有為転変のパターンをたどる理由がここにある」
<企業家経済とは>
「アメリカを企業家経済たらしめたものは、経営管理という名の技術であって、
個々の発明や科学的進歩ではない。さらに進んで、今日、まさにこの経営管理という技術が
さらにアメリカを企業家社会に変えようとしているのである」
「企業家経済が主としてアメリカのみの減少にとどまるか、他の先進工業国にも見られるように
なるかは、いまだ明らかではない。
日本では、日本的企業家経済という独特な形をとることになるかもしれないが、
企業家経済への移行を予測すべき十分な理由がある」
<企業家的経営管理について>
「『大企業からはイノベーションは生まれない』と常識はいう。しかし、大企業は
イノベーションをせず、また、できないという見方は、半面の真理ですらない、
まったくの誤解である」
「人間をレールム・ノバルム・クピドゥス(新しいものを胴欲に求める存在)と呼んだのは
ローマの詩人であった。企業家的経営管理とは、ひとりひとりの経営管理者をレールム・
ノバルム・クピドゥスにするものでなければならない」
この続きは、次回に。