知識ゼロからのイノベーション入門④
第1章 [マイクロソフト]
ビル・ゲイツの改善型イノベーション
—-要は「勝つこと」だ
第1話 まず何かに夢中になる。それがすべてのスタート。
・ 先端技術に人より多く触れる
ビル・ゲイツが初めてコンピュータと出会ったのは、1968年、レイクサイド・スクール(高校)
時代だった。
ゲイツとアレンは高価なコンピュータタイムを湯水のように使いながら、
何ができるかを探り続けた。
教師たちでさえコンピュータを使って何ができるかが、わからない時代だった。
・ 馬鹿げているから間違いとは限らない
ゲイツとアレンは、「いつの日か、コンピュータがテレビと同じように家庭で
ありふれたものとなる日が来る」という夢を描くようになる。
ゲイツとアレンはコンピュータのこれから先を正しく見通し、「自分たちに何ができるか」を
真剣に考えていた。
第2話 最も得意な分野の中に「とりで」をつくる
・ 自分たちが得意なのは、コンピュータを使って何かをする「ソフトの製造」だと
気づいたからだ。
・ ハーバード大学在学中からいろいろなプログラムをつくった
三目並べ、月着陸船ゲーム、野球ゲーム、給与計算プログラム、時間割プログラム等
・ 2人のビジョン—-コンピュータが今後広まっていくとしたら、そのコンピュータを動かすのは、
自分たちがつくったソフトウェアでなければならない。
・ マイクロソフト創業後、それは「どの机にも1台のコンピュータを、どのコンピュータを
動かすのも自分たちがつくったソフトウェアでなければならない。
・ 時代の流れを正確に読んでも、そこに自分の居場所をつくらなければ、
イノベーションは起こせない。
ゲイツは、まだ重視されていないが、自分が最も得意とするソフトの分野に
居場所をつくったのだった。
第3話 ビジネス経験を早く積む。
実務は戦闘力の基礎。
・ 「時間給」では働かない
ゲイツは高校時代から「30歳になるまでに百万長者(ミリオネアー)になる」と宣言し、
1970年にはワシントン州立大学に入学していた。
アレンと「トラフォデータ社」を創業して、ビジネスを行っている。
交通量カウントテープ解析や時間割作成などのプログラム作成、自治体や学校に売り込んでいる。
成功例の1つが、ISJという会社から給与計算プログラムを受注したこと。
16歳の時のこの交渉が、ゲイツのビジネスの原点となった。
・ 専門家の指導を受ける
もう1つの成功は、自治体関連事業の請負会社TRWから電力監視システムのソフトウェアを
依頼されたことだ。
仕事の中でトップクラスのプログラマー、ジョン・ノートンに出会い、指導を受けることで、
ゲイツは本格的なプログラマーに成長した。
・ マイクロソフト創業
ゲイツは「セールスマンであり、技術リーダーであり、弁護士であり、ビジネスマンである」と
評されるほどの活躍を見せる。
そして、「アルテア」向けのBASICを書き上げ、コンピュータ業界最初の標準を確立する!
この続きは、次回に。