成功の要諦 -6
第三講 安岡正篤師に学んだ経営の極意(1997年3月29日)
平成9年、著者65歳。安岡正篤師の生誕百周年と、師の教えを学び、啓発し合うことを目的につくられた、
関西師友協会の創立40周年を記念する大会での講演です。中国の古典『陰騭録』をひもときながら、
人間としてのあるべき姿、リーダーとしての考え方、さらには経営の要諦について述べています。
自然に頭が下がるような人
運命は変えられる—『陰騭録』の教え
私は経営を続ける中で、人生と何だろう、人間とは何だろうということを絶えず考えてきました。
安岡先生の本には、その答えが簡潔明瞭に書かれています。人生は運命として決まっている。
しかしそれは天命であり、宿命ではない。
その人の思いと行いによって運命は変えられるということを、先生は明確におっしゃっています。
このことは、私が若い頃に読ませていただいて大変感銘を受けた『運命と立命』(後に『「陰騭録」を
読む』に改題/致知出版社)にもあります。
『陰騭録』とは、中国の袁了凡という人が書いた本です。
『陰騭録』とは次のような話しです。
袁了凡がまだ幼い頃、仙人のような老人がと通りかかりました。
その老人は了凡少年を見て、「私は南の国から易学を勉強してきたのだが、天の命ずるところによって、
この国まで君を訪ねてきたのだ」と言います。
南の国とは、いまの雲南省のことです。
そこで了凡少年に易学を教えよという天命を聞いてやってきたというのです。
老人は一夜の宿を所望しました。
了凡少年の家はすでに父親が亡くなって母子家庭でしたが、少年はお母さんに頼んで老人を家に入れます。
そして一夜のもてなしをしているときに、老人はしみじみと少年の顔を見ながら、次のように
お母さんに語りかけるのです。
「お母さんはこの子を医者にしようとお考えのようですが、彼は医者の道には進学せず、官僚の道を
歩むことになります。官僚になるための試験は何段階もありますが、何歳のときには、こういう試験を
受けて何人中何番で通り、次の試験は何番で合格します。
やがて出世して地方の長官に任じられます。
結婚はしますが、残念ながら子供には恵まれず、五十三歳で息を引き取るでしょう」と言うのです。
人は天命のままに生きるにはあらず
老師は、「確かに人はすべて生まれたときに運命は決まっています。
それを天命と言います。しかし天命のままに生きる人がいますか」と説きました。
それでは運命を変えるにはどうすればいいのかと言うと、老師は、善きことを行うことだ、と言うのです。
うまくいきはじめたときに慢心してはならない
後に了凡は自分の息子に、次のように言いました。
「お父さんはお前が生まれる前に、老師からこのようなことを言われ、人生について考え直した。
それからお母さんと一緒に、善いことを思い、行うようにしてきた。
その結果、幼い頃に会った老人には、子供はできず五十三歳で息を引き取ると言われたのに、
お前が生まれ、私は六十九歳になった」
さらに了凡は、自分の前半生を振り返りつつ、息子に次のように教えています。
「禍福は人間の力ではどうすることもできない天命であるというのは、世の俗人の論だ。
聖人や賢者が述べた真実の言葉にもあるように、禍福には自分から求めないものはないということが
わかった」と言うのです。
『「陰騭録」を読む』の最後に、安岡先生は、自分の運命が好転し、うまくいき始めたときには
慢心してはならない、ということをおっしゃっているのです。
この続きは、次回に。