池上 彰のやさしい経済学2 ニュースがわかる ㉘
日本はどうして豊かになれたのか?—戦後日本経済史
—最後の講義は、戦後日本経済史です。
GHQによる終戦直後の国の立て直しから、所得倍増計画に始まった高度経済成長期。
そして1ドル=360円の円安時代によって、日本は輸出大国になりました。
戦後から時系列に、経済政策の流れを検証します。
津波に襲われた被災地と二重写しになる、終戦直後の日本
いまの日本は、バブルの崩壊によって長期間続くデフレやリーマン・ショックにより、
すっかり自信を失っています。でもあらためて考えてみてください。
66年前には日本中すべてが焼け野原だった。それがいまでは、日本はここまで発展したのです。
見渡す限りが焼け野原、何も残っていない。
津波ですべてが流されてしまった、その情景と二重写しになったのです。
66年前の焼け野原は、その後見事に復興しました。
では、どのように復興して行ったのか、それを見ていきましょう。
GHQが戦後日本の経済復興のため処方箋を書いた
1945年8月、日本は世界中の国々を相手にして戦っていた戦争に負けました。
そしてアメリカのマッカーサー元帥をトップにしたGHQ(連合国軍最高司令官司令部)が日本に
やってきてその占領下に入り、日本の独立は失われました。
GHQは、日本をもう二度と戦争をしない、あるいは戦争できない国につくりかえようと考えて
いました。その一つに憲法があります。
日本が戦争に突き進んでいったのには、いろいろな理由がありました。
たとえば財閥という巨大な企業グループが経済を支配していて、自由な競争が起きなかった。
日本国内で経済が十分発展しない分、中国大陸や東南アジアに新天地を求めて進出する人たちが
大勢いました。また、日本国内では労働組合組をつくることが禁止されていたので、労働者が
給与を引き上げろという要求ができませんでした。
労働者の給料が安いので消費が伸びない。
国内での景気が良くならないから国外に出て行こうということになります。
そこで占領軍は、労働者に労働組合の結成をさせようと考えます。
労働条件をよくして給料が上がっていけば、消費活動が活発になり日本経済は発展すると考えたのです。
労働者の給料が増えていくと経済が発展する、まさにケインズ経済学を使ったということになります。
それから農地解放です。日本の農地には大地主が居て、その下で小作人が農地を借りて農業を
しているという状態が続いていました。
自分の土地を持っていない小作人たちにすればあまり労働意欲がわきません。
これをやめて全国の農地をみんなに分け与えれば農家の人たちが労働意欲に燃えて生産に励み、
日本の食糧不足が解消されるのではないかと占領軍は考えました。
このようにアメリカの占領軍は日本経済を分析し、日本経済を発展させるための処方箋を
つくったのです。
GHQ=連合国軍最高司令官総司令部:日本の占領政策の拠点として置かれた連合国軍の機関。
1952年、サンフランシスコ講和条約の発効により廃止された。
GHQの占領政策
- 財閥解体
- 労働組合結成の奨励
- 農地解放
マッカーサーの登場
1945年8月15日、日本はポツダムせんげんを受け入れて降伏しました。
その半年後、コーンパイプを加え、レイバンのサングラスといういでたちで厚木飛行場に降り
立った人物が、連合国軍最高司令官、ダグラス・マッカーサーです。
以後およそ6年にわたり、日本はマッカーサー率いるGHQによって統治されることになります。
終戦直後の日本で起こったインフレ
終戦直後、日本はインフレで大混乱していました。
どうしてインフレが起きたのでしょうか。
日本は戦争に負けました。中国大陸や東南アジアで戦争していた多くの兵隊が続々と日本国内に
戻ってきました。軍がなくなったわけですから、軍人や軍の関係者およそ700万人に一斉に退職金が
支払われました。
手元に現金が入ってきたのです。しかし戦争に負けたわけですから、日本国内にはほとんどの
ものがなくなっていました。ものはほとんどないのにみんなが現金を手に入れた。
何が起きるかもうわかりますね。猛烈な物価の値上がり、インフリが激しくなったのです。
日本国内にお金があふれているけれど買うものがない状態になった、急激なインフレになったと
いうことです。
この続きは、次回に。