池上 彰のやさしい経済学2 ニュースがわかる ㉚
GHQの占領政策2—労働組合結成の奨励
またGHQの占領政策により、1946年3月に労働組合法が施行され、労働組合が結成されていきました。
※ 省略致しますので、購読にお願い致します。
労働組合:労働者が労働条件の維持・改善や社会的地位の向上などを目的として、自主的に
結成する団体。
メーデーの復活
1946年5月1日のメーデーには、皇居前広場に50万もの人々が集まりました。
1936年以降開催が禁じられてきたメーデーが11年ぶりに復活したのです。
労働組合法の施行後に多くの労働組合が生まれ、1947年に組合員の数は500万人を突破しました。
すべての雇用労働者に占める組合員の割合が60%以上の時代もあったと言われていますが、
2010には18.5%にまで低下しています。
電力不足解消のために考えられた傾斜生産方式
こうして少しずつ経済の立て直しが始まりました。
日本はGHQに言われたことばかりしていたわけではありません。
自分たちで考えた独自の政策もありました。
それが傾斜生産方式です。すべてのエネルギーや力を、あるものに傾斜的に、一方的に注ぎ込もうと
いう考え方で、1947年から実施されました。
傾斜生産方式:ある産業に資材や資金を重点的に投入し、それらの循環的拡大を通じて産業全体の
拡大を図る方法。戦後日本では、鉄鋼、石炭増産に集中的に取り組んだ。
「電力不足解消のために、石炭と鉄の増産に力を入れ、国がそこに集中的に資材や資金を投入し、
経済全体を拡大する。」
※ 省略致しますので、購読にお願い致します。
GHQの占領政策3—農地解放
一方で全国では農地解放が行われました。
それまで小作人の人たちは、地主の土地で働いてつくったものの大半は地主に納めなければ
ならなかったのですが、農地解放でみんな自分のものになりました。
経済学で言うとインセンティブと言います。
このようなやる気を起こすしくみにすると、働けと命令しなくても人々は働くようになるのです。
上から働け、働けと言ってもだめなんですね。
そんなことをしなくても、働けば豊かになるというしくみにすれば、みんな一生懸命働くようになります。
日本の場合、農地解放というやり方によって、それができるようになりました。
こうして日本の工業、農業ともに活性化し、経済も発展していきます。
農地解放:GHQの指令で行われた農業の民主的改革。
国家が不在地主などの土地を強制的に買収して小作人に売り渡し、旧来の地主・小作人制度が
解体された。
インセンティブ:incentive =やる気
自衛隊誕生のきっかけは朝鮮戦争だった
こうして日本経済はようやく発展していきますが、その頃朝鮮半島では戦争が勃発します。
1950年6月25日のことです。625というのは韓国語で「ユギオ」と言います。
そのため韓国の人たちはこの戦争のことをユギオと言います。
この日、突然北朝鮮の大群が韓国に攻め込んできました。
その時アメリカ軍は韓国にいませんでしたが、韓国軍が総崩れになりそうな状態となったため、
応援に入りました。応援に入ったのは、日本に駐留していたアメリカ軍でした。
当時7万5,000人のアメリカ兵が日本に駐留していました。
アメリカ本土から兵隊を送る時間がなかったため、急遽日本にいる駐留兵を朝鮮半島に派遣したのです。
その結果日本の国内に軍隊がいなくなってしまいました。
当時は東西冷戦時代ですから、日本からアメリカ軍が一切にいなくなると、もしソ連が攻めてきたら
あっという間に占領されてしまいます。それでは大変だということで、アメリカは日本に警察予備隊を
つくりなさいと命令しました。日本に自衛隊が誕生するきっかけとなったのは、朝鮮戦争だったのです。
警察予備隊:朝鮮戦争の始まった1950年に日本の警察力増強を目的にポツダム政令によって
設けられた機関。52年に保安隊に改編、54年に自衛隊となる。
朝鮮戦争特需が日本経済の発展を後押しした
戦争をするときは、大量の物資が必要になります。
兵隊の制服から食べ物、トラックなど、ありとあらゆるものが不足します。
この時朝鮮半島全体が戦場になったので、朝鮮の工場でものをつくることができませんでした。
そのためこれらの物資を日本でつくり、それを朝鮮へ運び込むことになりました。
アメリカから大量の注文が日本にやってきます。これが特需という特別な需要の発生です。
この朝鮮戦争特需により、日本の工場がフル生産するようになりました。
これによって日本経済が大きく発展していくことになります。
この続きは、次回に。