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池上 彰のやさしい経済学2 ニュースがわかる ㉛

自衛隊の誕生

日本占領軍を朝鮮半島に送り出したマッカーサーは、日本国内の空白を埋めるため、日本の警察力を

強化することを政府に勧告し、警察予備隊を創設するよう指示しました。

予備隊はただちに志願者を募り、7万5,000人の陣容をもって発足しました。

一方、海上警備隊も1952年8月にはフリゲート艦5隻、上陸用舟艇8隻を譲り受けて独立し、

沿岸海上警備隊が創設されました。

警察予備隊と海上予備隊は、やがて組織や名称を変え、陸海空からなる自衛隊が発足したのです。

 

1950年 警察予備隊の創設

1952年    海上警備隊の創設

1954年 防衛庁(現防衛省)の設置、自衛隊発足

 

所得倍増の達成はインフラ整備から始まった

そして1960年、当時の池田勇人首相が所得倍増計画を打ち出します。

国民の所得を10年間で倍にする、これが所得倍増計画です。

経済を発展させるためには、まず道路の舗装から始めなければならないということで道路の整備が

行われます。また全国の港湾を整備しました。貨物船が港につけられるようにして、生産したものを

輸出できるようにしました。このような道路や港湾の整備のことを社会資本整備と言います。

よくインフラ、インフラと言いますが、これは社会の基盤のことです。

これを社会資本と言います。それを整備していくというやり方でお金を注ぎ込んだのです。

道路や港湾が整備され、国内で物資を運ぶことがスムーズになっていきます。

工場生産が軌道に乗り、作られたものは港から貨物船で海外に輸出されていったのです。

それから全国に理工系の大学、あるいは理工系の学部をたくさんつくる方針になりました。

これから国民が豊かになっていくためには、工場を増やしたり様々な技術を開発しなければいけない。

そのためには理工系の人材が必要だろうと、全国に工業という名前のついた大学や学部が次々と

作られました。そこで教育を終えた人たちがメーカーや研究所に就職するというかたちで、

日本の技術を発展させていこうとしました。

 

所得倍増計画:池田勇人内閣による長期経済計画のこと。

大蔵大臣に田中角栄氏を起用し、10年間での所得倍増を目指し、7年目に達成された。

 

社会資本整備:社会資本とは、国民生活に必要不可欠な公共施設のことで、生活関係では上下水道・

公園・病院など、産業関係では道路・港湾・空港などがある。

戦後日本は産業関連の整備が優先されてきた。

 

銀行のお金不足解消のため行われた、貯蓄の一大キャンペーン

また、企業が工場をつくるためには、銀行からお金を借りなければなりません。

ところが銀行ではお金がすっかり不足していました。

国民はまだまだ貧しくて、なかなか銀行に預金をしないので、そもそも銀行のお金が足りないのです。

そこで日本全国でみんな貯蓄をしよう、みんなが貯蓄をすれば未来は明るい、老後のためにも

とにかく貯蓄をしようという一大キャンペーンを張りました。

 

※   省略致しますので、購読にてお願い致します。

 

インフラの整備で経済活動が活発になり消費が増えていった

1964年には、東海道新幹線が開通しました。

そして東西の大動脈である東名高速道路、そして名神高速道路も作られていきます。

インフラが整備され、経済活動が活発になった。それによって所得も向上していったということです。

日本という国がそうやってどんどん発展していきます。

 

夢の海外旅行にも行けるようになった

このようにして、1960年代の後半から70年代の初めにかけて、日本はどんどん豊かになっていきました。

ついには夢のまた夢であった海外旅行へ行く人たちが出てきます。

最近同じようなことが世界各地で起きています。

韓国では1990年代、そして2000年から2010年にかけては中国です。

その後、日本は輸出大国になっていきます。アメリカは社会主義国家に対抗するため日本経済を

立て直す必要があった。そのため、1ドル360円という、日本にとって非常に有利な円安基準に

設定したのでしたね。この円安によって海外にモノを安く売ることができ、それによって輸出産業が

発展し、日本はさらに経済発展を遂げていくことになのです。

 

1963年4月 業務渡航を承認

1964年4月 年1回限りの観光渡航を承認

1966年1月 観光渡航の回数制限を撤廃

 

明確な経済政策をとれば、国は復興する

経済学という学問は、世の中を分析する一つの武器になり得るということです。

経済とは要するに人間の営みであって、人々の思惑によって経済は動いている。

そしてお金が回ることによって経済は発展し、お金が回らなくなるとうまくいかなくなると

いうことも、わかっていただけたのではないかと思います。

 

Q 復習問題 7

 

第1問  農地解放で日本の農業は衰退を始めた。

 

              ×  農地解放によって地主制が解体され、小作人が自分の土地を持つようになって

                   やる気を起こし、農業が活性化した。

 

第2問  GHQが日本での労働組合結成を働きかけたのは、日本国内で混乱を引き起こし、

          戦争ができない国にしようと考えたからだ

 

              ×  労働組合が結成されることで労働条件が良くなり、経済が良くなり、経済が発展すれば

                   侵略戦争をしない国になるだろうとGHQは考えた。

 

第3問  傾斜生産方式は、消費物資の生産に傾注することである。

 

              × ある産業に資材や資金を重点的に投入し、それらの循環的拡大を通じて産業全体の拡大を

                  図る方法。

 

第4問  池田内閣時代、インフレ退治のために貯蓄を推奨した。

 

              × 池田内閣が推し進めたのは所得倍増計画。

                  戦後のインフレ退治には、預金封鎖による新円切替が実施された。

 

第5問  GHQの占領政策は次のうち3である

              1.所得倍増計画

              2.財閥解体

              3.傾斜生産方式

 

                ×  2の「財閥解体」。

 

 

 

 

この続きは、次回に。

 

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