人を動かす経営 松下幸之助 ⑬
・ 物に説得力あり—幼き日の二つの思い出
物をもらえば、だれでもうれしい。もちろん中にはヘソ曲がりもいて、物をもらってもうれしくない、
という人もいるかもしれない。が、一般的にいえば、やはり物をもらえばうれしく、喜びを感じるのが
人間のふつうの姿ではなかろうか。
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ところが、奉公に出てから半月ほどたつと、給料というか小遣いというか、親方から五銭玉をもらった。
ピカピカに光った白銅の五銭玉である。私はおどろいた。
家にいるときには、毎月学校から帰ってくると、母から一文銭というものをもらってアメ玉二つを
買って食べていた。五銭というと、その一文銭五十枚分である。
そんなまとまった金をもらったことなどなかった。だから生まれて初めてもらった五銭玉である。
私はうれしくなった。
もらった五銭玉を手のひらにのせて、じっくりと眺めた。
ほほう、ずいぶんたくさんもらえるものだな、というのが実感である。
しかもこれを月に二度もらえるという。丁稚奉公をするのは、まことにさびしいけれども、しかし、
ここでこうやって奉公しておれば、五銭玉がもらえる。これは、そう悪くはない、満更でもない、
という気が、知らず識らずわいてきたのではないかと思う。
というのは、その五銭玉をもらった日から、ふしぎなことに、夜寝るときになっても涙が出てこなく
なったからである。人間の心というものは、まことに妙なものである。
初めての五銭玉の威力によって、さびしさや悲しさがふきとんでしまった。
そして、新しい気持ちでまた奉公に励む、ということになってきたのである。
赤ちゃんがまんじゅうをもらって泣きやんだのとは、少し事柄が違うかもわからない。が、何かその
両者に通じるものもありはしないかという気がする。
いってみれば、ものにはそういうある種の説得力のようなものがあるのであろう。
だから、それがいわゆるソデの下のような形で発揮されるのでは好ましくないけれども、われわれは
よい意味で物を活用していくことも大切ではないかと思う。
それによって、物事がプラスに働いていく事も十分考えられるわけである。
この続きは、次回に。