ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」⑮
市場調査の仕事により多くの人間を従事させることによって、そのぶん
洞察や想像力や仕事の質を向上させ、企業の発展と成功の可能性をもた
らす成果を得られるかもしれない。そうであるならば、二○○人の人では
安いものである。だが、その二○○人が持ちこんでくる雑事や、彼らの間の
相互作用によって生じる問題に市場調査部門の責任者が忙殺される危険も
ある。マネジメントに忙しく、市場調査に必要な意思決定を考える時間が
なくなる。数字をチェックすることに忙しく、「われわれの市場は何か」
という基本的な問いかけを忘れるかもしれない。その結果、ついには
企業の衰退を招くおそれのある市場の重要な変化を見逃すかもしれない。
もちろん、スタッフをもたない市場調査の責任者であっても生産的であり
うるし、非生産的でもありうる。自ら企業を繁栄に導く知識や洞察の源泉
となるかもしれない。逆に、学者たちがしばしば研究と錯覚しがちな
脚注的な些事の調査に時間をとられ、何も見ず、何も聞かず、何も考え
ないかもしれない。
知識を中心とする組織では、一人もマネジメントしていないが実質的に
エグゼクティブである人も多勢いる。もちろんベトナムのジャングルに
おける部隊のように、組織のメンバー全員が、常に組織全体の死活に
関わる意思決定を行う立場にあるという例は稀である。
しかし研究所において、追求すべき研究テーマを決定する科学者は、
それによって企業の将来を左右する起業家的な意思決定をしているかも
しれない。その科学者は部長であるかもしれない。
新人ではないにしても、まったくマネジメント上の責任をもたない一研究員
であるかもしれない。そのようなことは、今日の大組織ではあらゆる分野に
おいて目にする。
私は、地位やその知識のゆえに、日常業務において、組織全体の活動や
業績に対して、重要な影響をもつ意思決定を行う経営管理者や専門家などの
知識労働者をエグゼクティブであるというわけではない。
知識労働においても、他の労働と同じように特別の能力を必要としない
定型的な仕事というものがある。だがエグゼクティブは、組織図に示されて
いる以上に大きな割合を占めている。
このことは、広く認識されるにいたっている。経営管理者と専門家の
両者に対して、評価と報酬の並行的な昇進コースを用意する試みも、
その一つの表れである。
この続きは、次回に。