ピーター・F・ドラッカー「経営者の条件」㊿+65
意見の不一致が必要な理由の第三は、想像力を刺激するからである。
問題を解決するには想像力は必要ないとの説がある。
だがそれは数字の世界だけである。政治、経済、社会、軍事のいずれで
あろうとも、不確実な問題においては新しい状況をつくり出すための
創造的な答えが必要である。想像力、すなわち知覚と理解が必要である。
第一級の想像力は潤沢にはない。とはいっても一般に考えられているほど
稀なわけでもない。しかしそれは刺激しなければ使われないままになる。
反対意見、特に理論づけられ、検討し尽くされ、かつ裏づけられている
反対意見こそ、想像力にとって最も効果的な刺激剤となる。
ヴィクトリア朝時代にヨーロッパを訪れた南洋の人が、島へ帰って
「あちらでは家の中に水がない」と報告した。彼の島では家の中に
丸太をくりぬいた溝があり、水は外から見えた。
ヨーロッパでは水道管の水は見えなかった。
栓をひねれば水が出てくることを、誰も説明しなかった。
私はこの話を思い出すたびに想像力のことを考える。
栓をひねらなければ想像力も出てこない。その栓が意見の不一致である。
成果をあげる者は意図的に意見の不一致をつくりあげる。
そうすることによって、もっともらしいが間違っている意見や不完全な
意見によってだまされることを防ぐ。選択を行い、決定を行えるように
する。実行の段階で、その決定に欠陥があったり間違ったりしていることが
明らかになっても、途方に暮れることはない。
さらに自分だけでなく同僚たちの想像力も引き出してくれる。
意見の不一致はもっともらしい決定を正しい決定に変え、正しい決定を
優れた決定に変える。
一つの行動だけが正しく他の行動はすべて間違っているという仮定から
スタートしてはならない。自分は正しく彼は間違っているという仮定から
スタートしてもならない。ただし、意見の不一致の原因は必ず突き止め
なければならない。
ばかな人もいれば無用の対立をあおるだけの人もいることは確かである。
だが明白でわかりきったことに反対する人は、ばかか悪者に違いないと
思ってはならない。反証がないかぎり、反対する人も知的で公正であると
仮定しなければならない。したがって、明らかに間違った結論に達して
いる人は、自分とは違う現実を見、違う問題に気づいているに違いないと
考えるべきである。もしその意見が知的で合理的であるとするならば、
彼はどのような現実を見ているかを考えなければならない。
成果をあげる人は、何よりもまず問題の理解に関心をもつ。
誰が正しく誰が間違っているかなどは問題ではない。
法律事務所では、学校を出たばかりの新人弁護士に、最初の仕事として、
相手側に立って論理を組み立てることを指示する。これは依頼人のための
論陣を張るうえで必要なだけではない。つまるところ、相手側の弁護士も
仕事ができると考えなければならないからである。
もちろん新人にとってよい訓練になる。こちらが正しいという前提では
なく、相手側が何を知り、何をとらえ、何をもってして勝てると信じて
いるかを考え抜くことからスタートすべきことを学ぶ。
敵味方それぞれの主張を二つの代替案として見ることを学ぶ。
そうして初めて、問題の真意を理解できる。
相手側よりもこちら側のほうがより正しいことを確信をもって主張できる。
改めていうまでもなく、エグゼクティブに限らず、あまりに多くの人が
このようには行動していない。ほとんどの人が自らの見方が唯一の見方で
あるとの確信からスタートしている。
いかに感情が高ぶろうと、またいかに相手側が筋が通っていないと確信
しようと、正しい意思決定を行おうとするならば、選択肢を十分に検討
するための手段として意見の対立を使わなければならない。
● 潤沢
1. ものが豊富にあること。また、そのさま。「―な資金」
2. しっとりとしてつやのあるさま。うるおいのあるさま。
また、つややうるおい。「―を帯びた黒髪」「―な瞳」
● 反証
相手の主張がうそであることを証拠によって示すこと。
また、その証拠。反対の証拠。「―を挙げる」
● 論陣
議論や弁論をするときの論の組み立て。「―を張る」
[補説]「論戦を張る」は誤り。→論陣を張る[補説]
この続きは、次回に。