P・F・ドラッカー「創造する経営者」㊿-18
(6) 商品群
「顧客の考え方や経済的な事業からして意味ある商品群は何か。
何が商品群をつくる」
二つの例がこの問いの意味を説明する。
食器洗い機を開発したメーカーは、すでに主婦たちが熱狂的に受け入れ、
いまや十分馴染んでいる洗濯機に、自社の食器洗い機を似せるため非常な
労力とコストをかけた。
食器洗い機と洗濯機では技術があまりに違い、この二つを似せることは
容易ではなかった。しかし結局のところ、食器洗い機の失敗は、その従兄
たる洗濯機に似せることに成功したことにあった。
食器洗い機は、洗濯機に似ているくせに価格が二倍もした。
洗濯機に似ているのに、なぜ価格が二倍もするのか。技術者でもなければ
技術者であろうとも思わない主婦にとっては理解しがたいことだった。
言い換えれば、メーカーは食器洗い機を価格期待感に応えられない商品群に
入れてしまったのである。したがって、もし食器洗い機をまったく異なる
新しいものとして、台所器具という馴染みの商品群の外に位置づけていた
ならば、はるかによい成績をあげていたに違いない。
もう一つの例は、シアーズ・ローバックが二種類の保険から得た経験で
ある。シアーズは、一九三○年代に、自らの店舗で自動車保険を売り出し
大きな成功を収めた。その結果、シアーズ所有の保険会社は、自動車保険に
ついてはアメリカ第二位の保険会社にまで成長した。
しかしその二○年後、シアーズが売り出した生命保険は、顧客に受け入れ
られず、自動車保険の成功にあやかることができなかった。
顧客にとっては、自動車保険は自動車の付属品であり、ブレーキやハン
ドルと同じ部品だった。しかし生命保険は違った。
それは物ではなく金融商品だった。したがって生命保険は、自動車保険と
同じ商品群には入らなかった。名前が保険であるということだけでは
同じものにはならなかった。
ここにもう一つ、製品を間違った商品群に入れてしまった例がある。
ただしこれは、ハッピーエンドのケースである。
ある園芸用品メーカーは、薔薇園芸家のために特別の肥料と防虫剤を
発売した。業界でリーダー的な地位にあったそのメーカーは、新製品が
当然売れるものと期待した。素人園芸家はほとんどみな、薔薇を栽培して
おり、その手入れに熱心だった。
しかし、薔薇用新製品は失敗だった。ところが使用説明書では薔薇専用と
書いてあったにもかかわらず普通の花の手入れ用として売れている店が
あった。やがてそのメーカーも、消費者のこの御託宣を受け入れて一般用
として売ることにした。すると突然、ほとんど失敗作と諦めかけていた
その製品が生き返った。
郊外の一般住民にとって、薔薇園芸家とは彼らのことではなかったので
ある。
群(集客)とは、心理学にいうところの形態(ゲシュタルト)である。
したがって、それは見る者の主観のうち存在する。定義ではなく知覚に
依存する。
知覚に依存する商品群はメーカーと顧客では当然異なる。
両者は、互いに違う経験をもち、違うものを求めているからである。
そして意味をもつのは顧客の方の知覚である。
買うか買わないか、いかなるときに何を買うかを決めるのは消費者の
知覚である。
この続きは、次回に。