P・F・ドラッカー「創造する経営者」㊿-37
スローンは、理想的な自動車メーカーとはどのようなものかを考えた。
そして彼は五つの車種に市場をカバーさせるという構想を描いた。
しかしこの構想に合う手持ちの車種はビュイックとキャデラックだけ
だった。
そこで彼は、三つの車種を完全に放棄し、残りの三つの車種を車名だけ
残し、まったくの新型車に変えることにした。
実際のところ、スローンは、トータル・マーケティング・アプローチなる
ものを、その言葉が生まれる三○年前に行ったのだった。
彼は、自動車のマーケティングを変え、顧客へのアプローチを変えた。
彼は、五つの車種をそれぞれ、価格と性能によって市場に位置づけた。
各車種は、一つ下の価格帯の車種の最も価格と性能が高い車、および
一つ上の価格帯の車種の最も価格と性能が低い車と競争関係に立つように
設定した。また、最も低価格の車種が、フォードのT型よりも若干高い
だけで、外観の点でも性能の点でもT型を上回るものとした。
中価格車を購入できる顧客には中価格帯の外観と性能を備えた低価格車を
用意するとともに、若干の追加支出によって豪華車に近いものを手に
入れられるようにした。
こうしてGMの新しい五つの車種は、それぞれ別の価格帯の車として
それぞれの市場においてリーダーシップを握るべく設計された。
しかも五つの車種はそれぞれの価格帯の上下の車種と互いに競争する
ことになった。スローンは、挑戦のない成功のもろさを知り、五つの
車種すべてについて自ら強力なライバルをつくった。
この構想によってGMは、五年を経ずして抜群の利益をあげる圧倒的存在の
自動車メーカーとなった。しかも第二次世界大戦後巻き返しに転じた
フォードがとった戦略が、このスローンの構想の徹底であり、スローンの
思想と戦略のもとに育ったGM幹部の引き抜きだった。
一九二○年代初期において、スローンの構想はあまりに急進的だった。
GMの同僚に受け入れられるのにさえ数年を要した。
それは当時のあらゆる常識に反していた。
当時自動車市場は、大量生産の安い車を求める大衆車市場と、価格は
高くとも台数の限定された高級車を求める高級車市場に二分されるものと
考えられていた。
しかしスローンは、自動車のユーザーは基本的にはみな同じであって、
性能がよく、価格が安く、乗り心地がよく、格好のよい車、しかもモデル
チェンジがあり、下取りに出しやすい車を求めていると判断した。
スローンは、フォードと同じことをして、あるいは同じことをフォード
以上に行うことによってライバルを抜こうとはしなかった。
しかも彼は、一年物の中古車によって、T型フォードを陳腐化させた。
GMの最低価格帯車の一年物中古車は、その実用性においてT型に匹敵
するだけでなく、より高級な外観と性能を備え、しかもより安かった。
この続きは、次回に。