「道をひらく」松下幸之助 ㉔
・真剣に叱られる
おたがい人間、叱られるということは、あまり気持ちのよいものでは
ない。自分に非があったと認めていても、叱られるということはやはり
いやである。だから、叱られるよりも叱られないほうを好みがちで、
これは一つの人情でもある。
また叱るほうにしても、あまり気持ちのよいものではない。
うれしい思いはしない。だからできれば叱らないに越したことはない
わけで、これもまた一つの人情といえよう。
しかし、人情と人情とがからみ合って、マアマアのウヤムヤにすぎ、
叱りもしなければ叱られもしないということになったらどうなるか。
神さまならいざ知らず、おたがいに人間である。知らず知らずのうちに、
ものの見方考え方が甘くなり、そこに弱さと、もろさが生まれてくる
ことになる。
もちろん、私情にかられてのそれはいけないけれども、ものの道理に
ついて真剣に叱る、また真剣に叱られるということは、人情を越えた
人間としての一つの大事なつとめではあるまいか。
叱られてこそ人間の真の値打ちが出てくるのである。
叱り、叱られることにも、おたがいに真剣でありたい。
この続きは、次回に。