お問い合せ

「道をひらく」松下幸之助 ㉙

・眼前の小利

 

一匹狙えば千匹狙うというが、これは何も、馬だけにかぎったことでは

ない。人間でも、一人がちょっとした心得ちがいをしたならば、それに

引きずられてまた多くの人が道を誤る。ことに、それが利欲にかかわ

った問題となると、とかく人の判断は狂いやすい。そして眼前の小利に

とらわれる。

眼前の小利にとらわれるな、とは昔からのことわざであるが、小利に

とらわれては、結局は損をする。その損も、単に自分だけで終わるなら

まだ罪は軽いが、今日の世の中のように、人と人と、仕事と仕事とが

たがいに密接につながっているときには、一人の損がみんなの損となり、

その心得ちがいは大へんな結果を生む。

こんなときは、いまさら事新しくいう必要もないのだから、

この世の中、やっぱり一部の人のちょっとした心得ちがいからいろいろの

問題がひき起こされていることを思えば、眼前の小利にとらわれるなと、

何度も何度もくりかえしていいたくもなってくる。

別にむつかしいことをいうつもりはない。またいっても詮ないことだと

考えてもいない。こんなことは結局、人の良識に訴えるのが根本で、

だから何度も何度もあきずにいいたいのである。

 

● 利欲

 

利をむさぼる心。利益を得ようとする欲望。「―にとらわれる」

 

● 眼前の小利

 

・眼前(がんぜん)=目の前、ごく身近な所、まのあたり、目前(もくぜん)


・小利(しょうり)=わずかな利益を得ようとしようとして、その為に

 返って大きな損を招く事。


・良識(りょうしき)=物事の健全な考え方。

 健全な判断力「-ある行動」と言う意味だそうです。

 

● 詮ないこと

 

ある行為をしても、しただけの効果や報いられる事がなにもない

行なってもしかたがない。 無益である。

 

・善かれと思って

 

善かれと思って、はからったことが、善かれと思ったようにはならな

くて、思いもかけぬ反対の結果を生み出すことが、しばしばある。

思いが足りないのか、はからいが足りないのか、それにはいろいろ

原因があるのだろうが、よくよく考えてみれば、やっぱりそこには、

何らかの策を弄したという跡が目にうつるのである。

善意の策も悪意の策も、策は所詮策にすぎない。悪意の策は、もちろん

いけないけれども、しかしたとえ善意に基づく策であっても、それが

策を弄し、策に堕するかぎりは、悪意の策と同じくまた決して好ましい

姿とは言えないであろう。つまり、何ごとにおいても策なしというのが

いちばんいいのである。

無策の策といってしまえば平凡だけれども、策なしということの真意を

正しく体得して、はからいを越え、思いを越えて、それを自然の姿で

ふるまいにあらわすには、それだけのいわば悟りと修練がいるのでは

なかろうか。

おたがいに事多き日々、思いもかけぬ悩みを悩む前に、時にはこの策

なしの境地というものに思いをめぐらせ、心静かに反省してみたいと

思うのである。

 

● 弄する

 

1. もてあそぶ。思うままに操る。

   「策を―・する」「諧謔 (かいぎゃく) を―・する」

2. あざける。からかう。なぶりものにする。

   「―・じて(歌ヲ)よみて遣 (や) れりける」〈伊勢・九四〉

 

 

この続きは、次回に。

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