続「道をひらく」松下幸之助 ⑨
・徹底的に
起こってはならないことが、次々と起こってくる。起こってほしくない
ことが、次から次に起こってくる。去年もそうであったし、ことしも
また同じこと。誰が起こしているのか。馬でもなければ牛でもない。
馬や牛はただ人間からなされるまま。人間を困らせるようなことは何も
ない。困ることを起こしているのは、やっぱり人間自身である。
夏衣で寒風に立てば、まず普通の人はカゼを引く。カゼを引きたくなけ
れば、それ相応の衣服をまとえばよい。風に罪はない。不用意な人間
自身に因があるのである。
因があるから果があるので、不用意、不心得の因があれば、起こっては
ならないことも起こってくる。つまり、起こるべくして起こったわけで、
よく考えてみれば何も不思議もない。だから、何事も起こってはなら
ないことを起こしたくなければ、お互い人間の、不用意、不心得を
徹底的に反省しなければならない。
ともすれば徹底を欠きがちな昨今、とくに不用意な人間の心のあり方
そのものを、まずみずから徹底的に考え直してみたい。反省し直して
みたい。自分のためにも社会のためにも。
・半鐘(はんしょう)が鳴れば
ジャンと半鐘がなれば直ちにかけつける。火消しばかりではない。
出入りの商人、職人も、大事なお得意先が火事だと知れば、火消しより
も早くかけつけて、火を消す、家財を運び出す。うろたえる家人を助け
て、後始末に懸命になる。誠心誠意の奉仕ぶりである。
むかしの商人、職人には、こういう気質が根強くあったということだが、
これは単に、ものを買ってくださるからという打算の思いだけではなさ
そうである。日ごろお世話になっているという深い感謝の気持ちが、
大事なお得意先のためには、いつでも立ち上がるという気質を生み出
したのである。商売だけではない。人と人とのまじわりの上でも、
むかしはこういう気質が根強くあった。
時代は変わった。明治になり大正になり、昭和になり、戦後になり、
商売のやり方も人のまじわり方もずいぶん変わった。これも進歩の一つ
のあらわれで、まことに結構である。しかし、日ごろお世話になって
いるという深い感謝の気持ち、そして大事なお得意先のためにはいつ
でも立ち上がるという誠心誠意の奉仕の気持ち、これだけは、商売の
上でも、また人と人とのまじわりの上でも、いつまでも失いたくない
ものである。
この続きは、次回に。