続「道をひらく」松下幸之助 ㊴
● 素人と玄人
モチはモチヤというけれど、どんな小さな仕事でも、素人はしょせん
素人で、いかにそのわざが巧みでも、いわゆる玄人にはとてもかなわ
ない。
素人の仕事は、いわゆる器用さである場合が多いけれど、玄人のそれ
は一つの立派な職業である。その仕事によって、日々の糧を得ている
のである。それで暮らしが立っているのである。ごまかしは一切きか
ない。そこに器用を越えたきびしさがある。のっぴきならない真剣さ
がある。
グズグスしてはいられない。グスグズしていれば一日の糧を失う。
だから決定が早い。仕事が早い。能率がよくて正確である。
早くて正確で能率が良いというのは、もちろん永年の修練の賜物では
あろうが、職業としての思いがやっぱりちがうのである。
そこに尊さがある。
もっともお互いに、職業としてそれぞれの仕事を選びながら、思いも
わざも、まだ玄人というところまでいってない点があるのではないか。
まだ素人の器用さにも及ばない仕事ぶりしかしていないのではないか。
今一度、反省してみたいものである。
● 餅(もち)は餅屋(もちや)
餅は餅屋のついたものがいちばんうまい。その道のことはやはり専門
● この時に幸あれ
きょうはきのうのつづきではない。照る陽、吹く風に変わりはなくとも、
きのうの風ときょうの風はちがう。すでにその味わいは変わっている。
すべてが刻々に変わっているのである。同じ姿は一つとしてない。
刻々に変化している。それでいいのである。それがあたりまえである。
自然の理である。ただ自然の理の変わりようは、それが生成発展の理
に立つ。変わっていくことが、そのまま新たな発展を生み出す理法な
のである。
赤子が元気な声で泣き出す。きのうまでいわば無であったような存在が、
きょうは元気に手足をバタつかせ、大声で泣きわめいている。
眼を見はるような変化のなかでの、新たな人生の誕生である。
この子らの前途を何ものがさえぎることができようか。たとえさまざ
まの困難があったとしても、この子らはこれをのりこえのりこえ元気で
人類の運命をあゆみ出す。ふまれてもふまれても、頭をもたげる野生の
タンポポのように。それが自然の理である。人類の歴史である。
激動のこのとき、激変のこの時代、変わることを恐れてはならない。
すべてが発展への理に立つのである。この時にこそ、すべてのものに
幸あれ。
この続きは、次回に。