続「道をひらく」松下幸之助 ㊷
● 冷静の美徳
山にのぼってガスに包まれて、どちらに行ってよいのやらわからなく
なったときは、まず立ちどまり休息し、場合によっては穴を見つけて
そこにこもって、体力の消耗を防ぎつつジッとガスの晴れるのを待て
という。
そう言われているからそうしようと思うのだが、やっぱりウロウロして
傷だらけになって、気力も衰え体力も衰えて、ついには倒れてしまう。
不安だからである。ジッとしているのが何とも不安でたまらない。
冷静を失った心には、次々と悪い考えばかりが浮かんできて、ジッと
していたらそのまま死んでしまうような不安にかられる。そのうちに
幻想のとりこになって、聞こえもしない音が聞こえ、ありもしない道が
見えてきたりする。
冷静ほど大事なことはないのである。
人間についての美徳がいろいろ言われるけれど、冷静もまた大切な
美徳である。とくにこんにちのような乱れた世相になってきたら、
これが人間の大一番の美徳として強く求められてくる。
お互いにこの徳を、どこまで高めることができるか。大事な時である。
● 夏の嵐
夏の湖畔。その湖畔に夏の嵐。いつもは鏡のように静かな湖面も、
きょうばかりは鋭い風が吹きぬけ、白い波があわだつように舞い立つ。
別に寒くはないけれど、暗く押しかぶさる雲の下を、風とともに時折、
帯のように雨が走る。
その嵐の湖面に、一そうの和船。船頭がけんめいに櫓をこぐ。押して
引いて、押して引いて。そのたびに舟は右にかたむき、左にかたむく。
押してかたむき引いてかたむく。舟のへさきも右にゆれ左にゆれる。
それでも巧みなパランスで、舟はゆれつつもまっすぐすすむ。
右に行きっ放しにもならなければ、左にかたむきっ放しにもならない。
まっすぐにまっすぐに前進する。風に向かって前進する。
ゆれるよりもゆれない方がよいけれど、ゆれないことはすなわちとど
まること、そして流されること。ゆれるなかにこそ、まっすぐにすす
む道もひらけてくるのである。
激動の嵐が吹く世界。その世界のなかの日本。ゆれにゆれはするけれど、
その進む道について、時には一そうの和船の姿も思い浮かべてみたい。
この続きは、次回に。