Think clearly シンク・クリアリー ⑪
11. 自分の感情に従うのはやめよう—自分の気持ちから距離を置く方法
□ 「見ているもの」と「感じていること」の違い
さて、まず質問。「いま、あなたが見ているのはなんだろう?」。あなたの視界に入って
いるものを、できるだけ具体的に書いてみてほしい。一分間、書き留めるための時間を
とったら、次へ進もう。
次の質問。「いま、あなたはどう感じているだろうか?」。いまあなたの中にある感情を、
できるだけ具体的に書いてほしい。一分間、書き留めるための時間をとったら、次へ
進もう。
最初の質問の答えは、すぐにすらすらと書けたに違いない。
(中略)
今度は、あなたの感情について尋ねたふたつ目の質問の答えを見てほしい。おそらく
そこには、かなり曖昧な描写が並んでいるのではないだろうか。
(中略)
もしあなたが自分の感情をうまく表現できなかったとしても、焦りを感じる必要はない。
あなたの言語能力の問題ではないのだから。
□ 「感情の言葉」は「色の言葉」よりも圧倒的に多い
ドイツ語には「感情を表す形容詞」が、およそ一五○種類ある。英語になるとさらに
多く、その倍はある。
感情を表す言葉は、色を表す言葉より多彩だ。それにもかかわらず、私たちは自分の
感情をきちんと言い表すことができない。
「自分で分析してみせる自分の感情は、(中略)不正確で信頼性に欠け、当てにならない。
偶然分析を間違うこともあるのではなく、必ず大きく間違っている。自分の心の中が
はっきりつかめないのは私だけではないだろう。すべての人間に共通することなのだ
ろう」と、スタンフォード大学教授のエリック・シュウィッツゲベルは、自分の感情を
把握する難しさについて述べている。それでも、世の中は常にこんな言葉であふれている。
「あなたの感じたとおりに!」「あなたの心に従って!」「あなたの心の声を聞くように!」
だが、こうした言葉には一切従わないほうがいい。
□ あなたの「過去の出来事そのもの」に注目する
心理学には、「自己内観における錯覚」という言葉がある。自分の思考を省みるだけで、
自分が実は何に向いているかとか、何にもっとも幸せを感じるかとか、また自分の人生の
目標や人生の意義までもが徹底的に究明できるという「思い込み」を表す言葉である。
自分の「感情」を分析してみても、よい人生にはつながらない。
多くの詩人が人間の心の中を「森」にたとえる。だが、実際に自分の感情に従って深い
森の中に入り込めばみちに迷うのは確実で、最後にたどり着くのは、気分と感情と思考
の断片が集まって混沌としている泥沼の中でしかない。
もし、あなたに「就職の面接官」を務めた経験があるなら、面接者と三○分間話しただ
けで採用の是非を決めなければならない難しさを感じたことだろう。
研究結果によると、こうした面接は実はあまり意味がなく、面接官のそれまでの実績を
仔細に検討したほうがよっぽど役に立つらしい。
考えてみれば当然だ。「三○分間の表面的な会話」と、「三○年間の実績」のどちらに
より説得力があるかはいうまでもない。自分の感情を分析するのは、自分で自分の就職
面接を行うようなもの。まったく当てにならないのだ。
あなたの人生にくり返し起こる出来事はなんだろう? 出来事が起きた経緯を後づけで
解釈するのではなく、起きた出来事そのものに注目して分析すれば、自分を知る手が
かりになるはずだ。
□ 自分の感情なんて、まったく当てにならないもの
それにしても、どうして自分の「感情」を分析するのは、これほどやっかいなのだろう?
理由はふたつある。
ひとつ目は、どれだけ自分の心の声に聞き耳を立ててみても、どんなに深く自分の内側を
分析しても、その結果を遺伝子にコピーして次の世代に伝えることはできないからだ。
進化の観点からいえば、自分の感情を把握するより、他人の感情を読むほうがはるかに
重要だ。人間は、「自分の感情より他人の感情を読むほうが得意」だということは、
すでに事実として立証されている。
自分の感情を正確に把握したいと思えば、友人やパートナーにあなたの心の中で何が
起きているかを聞いてみるといい。彼あるいは彼女は、あなたをあなた自身より客観的
に分析してくれるだろう。
自分の感情分析がうまくいかない。ふたつ目の理由は、あなた以外にあなたの心の決定
権を持つ人がいないからだ。
心の中で自分がどんな感情を持っていると判断しようが、それに異を唱える人は誰も
いない。そのときに自分が唯一の権力者でいるのはとても居心地がいいが、修正機能が
働かないために的確な自己分析などできない。
「感情」とは、これほど当てにならないものなのだ。
そう考えると、自分の感情を深刻にとらえすぎないほうがいい。特にネガティブな感情
は重く受けとめなくていいのだ。
ギリシアの哲学者たちは、ネガティブな感情を取り除いた心の状態を「アタラクシア」
と呼んだ。落ち着き、心の安らぎ、揺るぎのなさ、冷静さ、平静さを表す言葉である。
アタラクシアに到達した人は、不運に見舞われも取り乱すことはない。
もうひとつ上の段階が、感情を完全に排除した状態を意味する「アパティア」である
(古代ギリシア人も現代人と同じくこの状態を目指していたようだ)。
アタラクシアもアパティアも、なかなか到達できない「理想の境地」だ。
でも、安心してほしい。私はあなたにそういう境地に達することをおすすめしようと
しているわけではない。それよりむしろ、人間は自分の感情にもっと疑いを持ち、
感情から距離を置き、遊び心のある新しい関係を自分の心と築くべきではないかと
思う。
□ 「感情」は、飛んで来ては去っていく鳥のようなもの
たとえば私は自分の感情を、どこからともなく私のところにやって来てはどこかへ消え
ていく、まるで自分とは関係ない何かのように扱うことにしている。
具体的にたとえたほうがわかりやすいかもしれない。私は自分のことを、「感情という
ありとあらゆる種類の鳥たちが飛んで来ては去っていく、開けていて風通しのいい屋内
市場」のようにとらえているのだ。
(中略)
私はこの市場のイメージを頭の中でつくりあげてから、「自分の感情」が自分の一部と
は感じられなくなった。まるで私に属していないかのように感じるのだ。
やってくることを歓迎できない鳥もいるが、さほど気にならない。実際に屋内市場に
飛んできた鳥に対するように、無視するか、遠くから眺めているだけだ。
感情を鳥のイメージに置き換えるこの方法には、もうひとつ利点がある。感情を鳥の
種類になぞらえて分類すれば、さらに遊び心を持って感情と付き合うことができるのだ。
「やっかみ」は、私のイメージの中ではチュンチュンと鳴く小さなスズメだ。
「いらだち」は木をつつくキツツキ、「怒り」は猛スピードで飛ぶはやぶさ、「不安」
は羽をばたつかせるツグミである。ほかにもまだまだある。
私のいう「感情との新しい関係」が、なんとなくおわかりいただけただろうか。
□ 「ネガティブな感情」は自分の意思では取り除けない
あなたにも経験があるはずだ。「ネガティブな感情」を意志の力で取り除こうとしても、
かえってその感情はエスカレートしてしまう。
だが反対に、遊び心を持って、ネガティブな感情との「リラックスした付き合い方」を
見つければ、完全な心の安らぎを得られるとまでは言わないものの(実際にそんなもの
を得られる人はそもそも存在しないだろう)、ある程度の落ち着きを手に入れることは
できる。
ただし、中にはとても毒性が強く、遊び心を持った付き合い方だけでは処理できない
感情もある。「自己憐憫」「苦悩」「嫉妬」などがその例だ。
それらの感情に対するさらなる対処法については、第30章、33章、41章で見ていくが、
基本的には、自分の感情は信用しないほうがいい。私たちは、ビックマックを食べて
どんな気持ちになるかより、ビッグマックのなかに何がはさまっているかのほうが正確
に描写できるものなのだ。
「周りの人の感情」は常に真剣に受けとめるべきだが、「自分の感情」とは真面目に
向き合う必要はない。自分の感情は、あたりを羽ばたかせておけばいい。どっちみち、
感情というものは、自由気ままに行ったり来たりをくり返すものなのだか。
○ 自己憐憫
「自己憐憫(じこれんびん)」とは、「自分を哀れみ、かわいそうに思うこと」です。
「自分はなんて不幸なんだ…」と思い込んでいる“悲劇のヒーロー・ヒロイン気取り”の
ような状態といえるでしょう。2023/02/20
○ 苦悩
あれこれ苦しみ悩むこと。「—の色が濃い」
○ 嫉妬
1. 自分よりすぐれている人をうらやみねたむこと。「他人の出世を—する」
2. 自分の愛する者の愛情が、他の人に向けられるのを恨み憎むこと。
やきもち。悋気 (りんき) 。「夫の浮気相手に—する」
この続きは、次回に。
2024年10月7日
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美