Think clearly シンク・クリアリー ⑱
18. 天職を追い求めるのはやめよう—できることを仕事にする
□ 自分の使命を一生懸命まっとうした偉人
(中略)
今日、私たちが「天職」という言葉を聞いたときに頭に思い浮かべるのは、聖アントニ
ウスやアッシジのフランチェスコのような人々だ。
彼らは「天の声」を聞き、それは従うのが自分の務めだと直感したのだ。キリスト教の
伝道者パウロ、神学者のアウグスティヌスやブレーズ・パスカルも同じような経験を
している。
□ 「作家になるために生まれてきた」トゥールの話
この「天職」という言葉、とてもよく耳にする。「自分の天職を見つけるにはどうすれ
ばいいですか?」これは、若者から頻繁に受ける質問のひとつだ。
そう訊かれるたびに、私は言葉に詰まってしまう。
「天職」という概念は、キリスト教の遺物にすぎない。私のように神の存在を信じて
いない者にとっては、妄想がかった考えに思えてしまうのだ。
(中略)
だが、天職を追い求めるのは危険である。一般的に考えられているこうした「天職」の
イメージは、実は大いなる錯覚にすぎない。
(中略)
□ 重点を置くべきは「アウトプット」より「インプット」
「神経衰弱に陥りやすい人の特徴のひとつは、自分の仕事を極端に重視していること
だ」と、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは書いている。
まさにこれこそが「誰にでも天職があるはず」という考え方に潜む危険だ。天職を追い
求めるあまり、自分自身と自分の仕事を、重要なものとしてとらえすぎてしまうのだ。
(中略)
ただしその場合も、重点は常に、成功や成果といった「アウトプット」にではなく、
行為そのものや作業といった「インプット」に置かれていることが大事だ。
つまり、「明日こそはノーベル賞をもらえるはず」と考えるより、「今日は少なくとも
三ページは書こう」と考えるほうがずっと健全だからだ。
天職を見つければ幸せになれるというのは、空想にすぎない。執念深く天職を追い求め
ても、ただの執念深い人間になるだけだ。そしてかなり高い確率で、すぐに失望するだ
ろう。
なぜなら天職という言葉には、たいてい非現実的な期待が含まれているからだ。
一○○年に一度の名作を書いたり、世界記録を打ち立てたり、新興宗教の開祖になった
り、貧困を棒滅したりといった理想を描いても、目標を達成できるチャンスはおそらく
一兆分の一程度だろう。
ただし、誤解しないでほしい。私は大きな目標を追求する行為自体が悪いといっている
わけではない。冷静に客観的に判断しながら目標を追求するのであれば、なんの問題も
ない。しかし盲目的に天職だけを追い求めても、絶対に幸せにはなれない。
□ 「得意」「好き」「評価される」ことを仕事にする
何かを観察しようとするときに、私たちはもっとも成功した「天職」の例だけを目に
してしまう。全体を反映していない偏りのある対象をサンプルとして選んでしまう「選択
バイアス」の影響である。
(中略)
だが、大勢いるはずの「挫折した人たち」の物語を目にすることはない。
(中略)
では、どうするのが一番いいのだろう?とりあえず、「心の声」に耳を傾けるのはよそう。
「天職」は「憧れの職業」の同義語だ。夢見るような「天職」は存在しない。あるのは
才能と生まれついての嗜好だけ。
だからあなたも、誤った思い込みではなく、実際の自分の能力にもとづいて仕事を選ん
だほうがいい。幸い、「得意なもの」と「好きなもの」は同じであることが多い。
もうひとつ重要なのは、あなたの才能をほかの人々が「高く評価してくれること」だ。
そうであればあなたは生活の糧を得られる
イギリス人の政治哲学者、ジョン・グレイが言っているように、「誰からも必要とされな
い才能を持つ人ほど不幸な人間はいない」からである。
この続きは、次回に。
2024年11月3日
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美