Think clearly シンク・クリアー ㊶-2
□ 何かを「過去の出来事のせい」と考えるのはやめる
それなのに、ここ数十年で自己憐憫が驚異的な出世を果たしたのには驚くばかりだ。
いわゆる、過去に対する「総括」というやつである。過去に起きた出来事を振り返り、
その出来事が現在に与えている影響を分析したり評価したりという行為が、さかんに
行われるようになったのだ。
まず、数百年前の出来事も含め、自分自身を「過去の出来事の犠牲者」だと感じる人々
による「社会的な総括」がある。被害者意識の歴史的な原因を解明しようと、その細か
い部分まで分析することを目的とした大学の学部まで設立されているほどだ。
いまなおニコル奴隷制と人種差別の影響を訴えるアメリカの黒人の感情も、現在でも
アフリカ大陸を覆う植民地支配の影も、「総括」ではすべてが正当化される。女性や、
原住民や、ユダヤ人や、同性愛者や、移民が感じる差別も、すべてが正当化され、共感
できる感情として扱われる。
(中略)
過去の不当な扱いは過去のこととして許容し、いまでも残る課題を処理したり、
それに耐えたりするほうに力を注いだほうがよほど前向きではないか。
個人の自己憐憫だけでなく、集団に蔓延する自己憐憫からも生まれるものは何もない。
過去に対するもうひとつの「総括」はもっと個人的なものだ。
セラピストの前に座った患者は、「自分の子ども時代」を掘り起こす。そして、できれ
ば忘れてしまいたかったが、現在の状況の責任をなすりつけるにはうってつけの出来事
を見つけだすと、理屈に合わない状況の責任までその出来事のせいにしようとする。
この「総括」の問題点はふたつある。
まず、自分が抱える問題を、いつまでも自分の両親をはじめ、ほかの人間のせいには
できないということ。四○歳にもなって自分の問題を親の責任にしようとする人は、
問題を抱えて当然の未熟な人間としかいいようがない。
ふたつ目は、たとえ子ども時代に大きな不幸に見舞われたとしても(両親の死や離婚、
育児放棄、性的虐待など)、成年に達してからの成功や満足度にはほとんど影響を与え
ないと、きちんと研究で示されていることだ。
□ 過去が不幸だとしても、今も不幸でいる必要はない
アメリカ心理学会の元会長、マーティン・セリグマンは、何百という調査結果を分析し、
次のような結論を出している。「子ども時代に起きた出来事の影響を、大人になってか
らの人格にわずかでも見出すのは難しい。ましてや際立った影響などただひとつも見つ
からない」。
人格に影響を与えるのは私たちの「過去」ではなく「遺伝子」であって、私たちがどん
な遺伝子を受け継いだかはまったくの「偶然」による。
もちろん、あなたが現在抱える問題をすべて遺伝子のせいにして、卵巣の宝くじ(第10章
参照)に外れたことを嘆いてもいいが、そんなことをして何になるというのだろう?
結論。健全な精神を保つには、自己憐憫の沼に浸らないことだ。
人生は完璧でないという事実を受け入れよう。ほかの誰かの人生だって、あなたの人生
と同じく完璧ではないのだ。
古代ローマの哲学者、セネカはこんなことを言っている。「運命は、いろいろな出来事
を人間の頭の上に投げつける。生きるためには、強い精神を持たねばならない」。
過去に不幸だったからといって、今も不幸でいなければならないということはない。
現在抱えている人生の問題がどうにかして対処できる類いのものなら、対処すればいい。
もし対処できないようなら、その状況に耐えること。愚痴をこぼすのは時間の無駄だ。
自己憐憫はさらに始末が悪い。自己憐憫に浸っても問題の克服にはつながらないし、
抱えている問題に極端な自己批判が加われば、状況を悪化させるだけだ。
この続きは、次回に。
2025年1月21日
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美