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追悼

追悼

 

平成26年5月19日、実父 齊藤慶次郎が89歳の生涯を終えました。

大正13年10月16日生まれ、法名 釋常諦(シャク ジョウ テイ)

真宗大谷派で本尊は、東本願寺との事でした。

 

私が結婚する際に、自分の宗派を調べたことがあります。

浄土真宗で、「南無阿弥陀仏」で、親鸞であること。

58歳の私ですが、また一つ教えて貰った感がします。

 

5月21日にお通夜、22日葬儀を終え、23日午前11時41分こまち18号に乗って東京へ帰る秋田新幹線の車中でこの文章を書いています。

 

父は、これまで病気という病気はなく、体も頑強でした。

血圧が高く降下剤をずっと飲んでいたのですが、日常の農作業等々には、問題がなかったと思います。しかし、ここ6.7年は通風、腎臓病などで病院通いも多くなり、去年は「もう危ない」という知らせをうけ、日帰りで見舞いに行きました。帰京する際、心の中で親父に言ったのは、「今度合えるときは、親父が亡くなった時だ」と。

 

父は、戦争に行っております。父は次男でしたが、長男も戦争に行き戦死しており、跡取りとして先祖代々の土地、建物、田んぼ、畑などを守ってきました。

子供は、長女、次女、私たち双子、三男の五人を儲けました。実母-私にとっては祖母ですが、私が22歳のときに亡くなり、長女は私たちが生まれる前には亡くなっておりました。「私たち双子は、長女の生まれ変わり」と言われていたと叔母たちに小さい時に聞いたことがあります。また、今から26年前には36歳になった次女―私たちにとっては姉を、乳がんで亡くしております。

 

齊藤家は、これまで男は短命でありました。ですから89歳まで人生を全うできたことは、珍しいことだと思いますし、幸せだと思います。また、85歳になる母も健在で、秋田県の土地柄としてはこの年代で両親が健在であったことは大変珍しいことだったと思います。

 

私の父に対する小さいときの思い出は、自転車乗り少年野球を見せに連れて行ってくれた事、魚釣りで釣った魚を美味しそうに食べてくれた事、大雨後の川でドジョウをバケツ一杯とった後に美味しそうに食べている姿などです。

これまで、戦争の体験談はほとんど聞いたことがありません。

よい思い出などないから、と思っています。

 

次男であった父が、家を継ぐことになり、別に「自分の夢」があるように感じたことがあります。私が秋田県横手市から東京に出てくる際に、父と一緒に上京しました。多少なりとも、私に「自分の夢」を期待していたのかも知れません。また、託したい想いもあったと思っています。何となくですが、私が結婚し、子供ができ、田舎に帰省した際など、話す中で感じていました。

 

私は思います。父の「夢」は何だったのか、と。父は、自分が歩んできた道-人生に満足して亡くなったのか、と。

 

私は、「自分の夢」に向かって頑張ろうと改めて父の霊前に誓いました。

世のため、人のためになることで、「自分の夢」を全うしたいと改めて決意した

次第です。

 

 

合掌

 

 

齊藤 弘美

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