お問い合せ

新装版 こころの朝 ⑥

15 相手の好意を、ありがたく受け取る人は、成功する

  豊臣秀吉の松茸狩り

 

もし、寸分のスキもない信長だったら、「俺を欺くつもりか!」と激怒して、家臣を罰しただろう。秀吉には、相手の立場を配慮し、気持ちを受け入れる余裕があった。

人間関係を大事にしていたのである。ここに、家臣の謀反によって暗殺された信長と、足軽から関白、太閤へと出世した秀吉の違いがあるようだ。

 

16 利家は、若い家臣に、「叱られる者の心得」を教えた

  加賀の大名、前田利家

 

「憎くては 叩かぬものぞ 笹の雪」

雪の重みで、生い茂っている笹が押しつぶされそうになっている。このままではかわいそうだと思って、笹の葉を、ポンポンたたいてやると、雪が滑り落ち、笹は、自分の力で、跳ねるように立ち上がる。このように、親や先生が子供を叱ったり、上司が部下を注意したりするのは、憎いからではない。大きく伸びてほしいと願ってのことである。

 

17 とっさの場合に、どう判断を下すか常識にとらわれない大胆な発想が、大阪を洪水から救った

洪水を防いだ石田三成

 

かんしゃくの くの字を捨てて ただかんしゃ

 

18 「そなたの秘蔵の宝は何か」家康の意外な答えに、秀吉は顔を赤らめ、沈黙した

  秀吉と家康の宝比べ

 

関白・秀吉は、徳川家康に向かって「そなたの、秘蔵の宝は何か」と問いかけた。

家康の答えは意外だった。

「ご存知のように、私は三河の片田舎で育った無骨者ですから、珍しい宝物は持っておりません。ただし、私のためならば、火の中、水の中へも飛び込み、命懸けで働いてくれる部下が五百人ほど持っております。この五百人を召し連れると日本中に恐ろしい敵はありませんので、この部下たちを第一の宝と思って、平生、秘蔵しております」

さすがの秀吉も、顔を赤らめて、一言も返事ができなかったという。

秀吉と家康の考え方の違いをハッキリ表すエピソードである。

これはそのまま、二代めで滅びた豊臣家と、三百年も続いた徳川幕府の違いとなって、歴史に刻まれているようだ。

 

19 目上の方に、自分の考えを押しつけたり、教えるような態度をとってはならない

  城作りの名人、藤堂高虎

 

高虎は言った。

「これは、上様からご指示を頂いた仕事です。決定されるのは上様であって、私ではありません。それなのに、一つしか案を出さなかったら、自分勝手に『これがよい』と決めたものを、承認せよと押しつける形になります。まるで家臣が主君の頭の上に立っているものと同じです。自信のある物事ほど、自分の才能をひけらかしたり、目上の方に教えるような態度になりがちです。戒めねばなりません。」

藤堂高虎は、元は豊臣方の大名であった。家康、秀忠が、高虎の前歴を問わず、厚い信頼を寄せたのは、「自分の立場」をわきまえた配慮や言動が、際立っていたからであろう。

 

この続きは、次回に。

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