お問い合せ

超ロジカル思考 「ひらめき力」を引き出す発想トレーニング㉒

・  「何もしていない」と思われる恐怖と対峙する

また、仮説設定・検証力は、起業家だけにとどまらず、多くのビジネスリーダーにとっても

必要なものである。というのは、ビジネスリーダーは人や金といった経営資源を動かす立場にある。

このため、仮説を検証し、エビデンスの得られた策だけを実行に移す必要がある。

ここでよくやってしまう誤りは、エビデンスが取れていないにも関わらず部隊を動かしてしまうと

いうパターンだ。何かをしていないと不安だから、成算もなく部隊を動かしてしまう人がいる。

その結果、「ここ掘れワンワン」とはいってみたものの、何も出てこないという状況に直面する。

こうなるとビジネスリーダーとしての鼎の軽重を問われることになりかねない。

勝ち残るビジネスリーダーは、これとは逆のことをやる。

つまり、エビデンスが得られなければ部隊を動かさないのだ。

そうすると、何もしていないと思われる恐怖と対峙しなければならなくなる。

それが無意識の世界を活性化させるのだ。そして、市場の中を歩き回り、会ったことのない人に

会いにいくことになる。それが頭に思い浮かぶ仮説の数を増やすことにつながる。

また、勝ち残るビジネスリーダーは、いったん仮説が検証され、成功要因を解明できたら、

今度はそれを徹底的に横展開しようとする。

それによって、第一印象で感じた事業規模の10倍ぐらいの価値を刈り取れることが多い。

仮説設定・検証力を高めることで、こうしたメリハリのあるうごきかたが可能になるのだ。

 

インターネットより抜粋

 

鼎の軽重を問う

鼎は三つの足と二つの耳をつけた金属製の釜のことで、古代の中国では料理は勿論、表彰の具、

釜ゆでの刑具などとして用いた。

さて話はずっと遡るが、周の定王元年のことである。

楚の荘王は春秋の五覇の一人に数えられる(五覇の中に入れない説もある)ほどの実力者であり、

大いに天下に対する野心を持っていた。

この年の春、荘王は陸渾の戎を討伐してから、洛水の畔に出た。

洛水の北には周の都、洛陽がある。

荘王は周の国境に大軍をおいて、周王の出方如何では攻撃しかねまじい勢いを示した。

定王は楚のデモンストレーションに驚き、大夫王孫満を遣って、荘王の労を厚くねぎらった。

ところが荘王は、歴代の王朝に継承され、いまは周の王室に代々伝わる鼎とはどんなものなのか、

かねてから知りたかったので、この時とばかりに、その「鼎の大小軽重」を聞いたのであった。

この質問を受けて王孫満は、鼎の由来から説き起こした。

その説明によると、そもそも鼎は夏王朝の祖禹が、九州(昔、中国を九分した)の朝に命じて

金を献上させ、これを用いて鋳させたものである。

鼎の表面には万物の形を図にしてあり、人民に怪物の存在を教えたから、人民は安心して

どんな山や川へも入って、生業に励むことが出来た。しかし、夏の桀王の世に鼎は殷に移り、

殷の紂王の時に周に移った。周の成王は鼎を郊(今の洛陽)において、ここを王都と定めた。

以後定王に至るまで三十代、七百年間継承されて来たのである。最後に王孫満は強調した、

「鼎の軽重が問題なのではありません、徳があるかないかこそが問題なのです。

鼎は常に徳のある所に移って来ました。今周の徳は衰えたと言っても、今日まで鼎を伝えて来た事は、

天の命ずる所でありまして、天命がすでに革まったとは思われません。

従って鼎の軽重など訊ねられるいわれはございますまい。」春秋時代はまだ周王の体面が保てた

時代であった。荘王も力づくで周を攻めることも出来なかったので、やむなく兵を引き上げる

ことにしたのである。

以上の説話は「春秋左氏伝」によるものだが、「鼎の軽重を問う」ことは、帝位を狙う下心の

あることを意味する。というのは鼎の由来を見れば解るが、わが国の「三種の神器」のように

鼎は帝位の象徴であったからだ。しかし、これから転じて今では「相手の実力や内情を見透かして、

その弱みにつけ入る」という意味に用いられるようになった。

この話は「史記」によると、荘王が「人をして九鼎を問わしむ」となっている。

「九鼎」は中国全土九州になぞらえた言い方であるが、前記の説話と同じ事である。

ただ、周室の廟の「大呂」(大鐘)と結んで、「九鼎大呂」という言葉がある。

何れも同じ事で「伝来の宝」「王位」「重々しいもの」の意である。

余談であるが、「戦国策」の「東周」の所に、秦から九鼎を求められた周王が、臣顔率の弁舌で

斉王の力を借り、秦を追い払ったことが見えている。しかし逆に斉王から九鼎を求められたとき、

顔率は「昔、周は殷を討って九鼎を得たが、一鼎を九万人で引っ張って来た。九鼎を移すには、

九つで九九、八十一万人もの人手が要りますぞ」と言って、斉王を煙に巻いてしまう。

また同所「秦」の条にも「九鼎」の話が出ている。

ともあれその行方は周の滅亡の時、秦に運ばれようとして泗水に沈んだと伝えられるが、

はっきりしたことは判らない。

 

STEP  6

仮説を立て検証できるようになるために、次のトレーニングに取り組んでみましょう。

 

◉  市場や顧客を観察する

 

◉  何か気になったことが出てきたら、そこから仮説を導き出す。

   その際、5W1Hを具体的に特定する

 

◉  仮説を検証するための実験や調査のデザインを考える

 

◉  検証する方法が思い浮かばないときは、まだ仮説が具体化されていないことを意味するため、

     仮説をさらに絞り込む

 

◉  実験や調査を実施し、仮説を検証してみる

 

 

 

この続きは、次回に。

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