人を動かす経営 松下幸之助 ⑪
・ 世間というものは—世の中は親切な人ばかり
世の中には、いろいろな人がいる。
心の優しい人もいるし、そうでない人もいる。親切な人もおれば、そうでない人もいる。
いろいろな人がいる。われわれが日々の生活を営み、活動を続けていく上においては、そうした
さまざまな人に出会う。いつどういう人に出あうか、それはわからない。
わからないから、一面不安である。心配である。しかし、不安だからといって、人にあうことを
さけたり、いやがったりしていたのでは、これは生活を営むこともできにくいし、活動もスムーズに
進められない。
世の中をどう見るか。世の人びとというもの、世間というものをどう見るか。
これがわれわれにとって大事な問題ではないのかと思う。
※ 省略致しますので、購読にてお願い致します。
私が商売を始めたころは、そういう姿のくり返しであった。
商売というものは、素人でもできるものだ、相場を知らなくてもできるものだ、と私はそのときに
つくづく思ったものである。
世間には、「こいつは新前だから安く買いたたいてやろう」と考える問屋さんもあるかもしれない。
けれども、立派に店を経営しているような主人公は、やはり正しいものの見方をする人が多い。
だから、「この人は新前だが、品物は決して悪くない。原価を聞いたが、今の相場はこれくらい
だからこれくらいで買ってあげることが正しい」といって買ってくださる。
まことにありがたい。そういう形において、当時、何もわからなかった私でも商売ができたのである。
こうした体験から、私は〝わたる世間に鬼はない〟ということわざがあるけれども、本当にそうだな、
とつくづく思った。
そして、世間というものは決してごまかしではない、正しい姿が必ず最後に認められるものである、
ということをそのときにハッキリと感じ、それがしだいに固まって私の信念ともなった。
もちろん、現実の問題として、ときには鬼とも思えるような人に出あうのが、お互いの人生かもわか
らない。
不親切な人もあれば、いじわるな人もいる。そういう人に出あえば、人間不信に陥り、世間の人は
みな悪く、人を見たらドロボウと思え、というような考えを持ってしまう場合もあるかもしれない。
しかし、そう思っていると、見る人もみんな本当に鬼のように見えてきかねない。
それでは自分にとってマイナスである。周囲の人にとってもマイナスである。
だから、基本的な考え方としては、やはり〝わたる世間に鬼はない〟ということを信じる。
そうすれば、実際に世の中の人はみな親切な人ばかりだ、ということにもなって、自分の思っている
こと、訴えたいことはみんな素直に聞いてくれることにもなるのではないかと思う。
この二つの見方のどちらを選ぶかは、われわれしだいである。
どちらでも別にかまわない。かまわないけれども、結果が違ってくるのではないかと思う。だから、
改めてお互いにこうした点について自問自答してみることが大切ではないかと思うのである。
この続きは、次回に。