お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」⑤

□ 士魂商才

 

昔、菅原道真は「和魂漢才」—日本独自の精神と中国の学問をあわせ持つ、

ということをいった。これは面白いことだと思う。

これに対してわたしは、常に「士魂商才」—武士の精神と、商人の才覚とを

あわせ持つ、ということを提唱している。

 

まず「和魂漢才」とは、次のような意味になる。

日本人たるもの、何より日本に特有のヤマト魂というものを基盤としな

ければならない。しかし中国は国も古いし、文化もはやくに開けて孔子や

孟子のような聖人・賢者を出しているため、政治方面、文学方面他において

日本より一日の長がある。それゆえ、中国の文化遺産や学問も合わせて

修得して、才能を養わなければならない。

中国の文化遺産や学問のなかには、書物も沢山あるけれども、孔子の言行を

記した『論語』がその中心になっている。

 

「士魂商才」というのも同じような意味で、人の世の中で自立していく

ためには武士のような精神が必要であることはいうまでもない。

しかし武士のような精神ばかりに偏って「商才」がなければ、経済の上

からも自滅を招くようになる。だから「士魂」とともに「商才」がなければ

ならない。

その「士魂」を、書物を使って養うという場合いろいろな本があるが、

やはり『論語』がもっとも「士魂」養成の根底になるものだと思う。

では「商才」の方はどうかというと、こちらも『論語』で充分養えるのだ。

道徳を扱った書物と「商才」とは何も関係もないようであるけれども、

「商才」というものも、もともと道徳を根底としている。

不道徳やうそ、外面ばかりで中身のない「商才」など、決して本当の

「商才」ではない。そんな才能や、頭がちょっと回る程度でしかないのだ。

このように「商才」と道徳とが離れられないものだとすれば、道徳の書で

ある『論語』によって「商才」も養えるわけである。

また世の中を渡っていくのは、とてもむずかしいことではあるけれども、

『論語』をよく読んで味わうようにすれば、大きなヒントも得られるもの

である。だからわたしは、普段から孔子の教えを尊敬し、信ずると同時に、

『論語』を社会で生きていくための絶対の教えとして、常に自分の傍から

離したことはない。

 

わが国でも賢人や豪傑はたくさんいる。そのなかでももっとも戦争が上手で

あり、世間とつきあっていく道に秀でていたのが徳川家康公である。

世間とのつきあい方がうまかったからこそ、多くの英雄や豪傑がひれ伏し、

十五代続く徳川幕府を開くことができた。だから二百年余りの間、人々が

枕を高くして寝ることができた。これは素晴らしい偉業である。

そんな世間とのつきあい方のうまい家康公であるから、いろいろな教訓を

遺している。

 

有名な『神君遺訓(しんくんいくん)』なども、われわれが参考とすべき

世間とのつきあい方が、実によく説かれている。

そして、そんな『神君遺訓』をわたしが『論語』と照らし合わせて見た

ところ、とてもよく符号していくのだ。

やはり大部分は『論語』から出たものだということがわかった。

たとえば、

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」とあるのは、『論語』の、

「指導的立場にある人物は、広い視野と強い意志力を持たなければならない。

なぜなら、責任が重く、道も遠いからである。なにしろ、仁の実現をわが

仕事とするのだ。重い責任といわざるを得ないではないか。

さらに、そういう責任を背負って死ぬまで歩き続けるのだ。

遠い道といわざるを得ないではないか」という曾子の言葉と重なり合って

くる。また遺訓にある、「己を責めて人を責めるな」というのは、「自分が

立とうと思ったら、まず人を立たせてやる。自分が手に入れたいと思ったら、

まず人に得させてやる」という句の意味からとったものだ。

さらに、「及ばざるは過ぎたるより勝れり」というのも、「過ぎたるは

なお及ばざるがごとし」という孔子の教えと一致としている。

家康が、「堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え」と述べた部分も、

「自分に打ち克って、社会秩序に従う」という意味からとったものだし、

「人はただ身のほどを知れ草の葉の、露も重きは落つるものかな」

「不自由を常と思えば不足なし、心に望み起きらば困窮したる時を思い

出すべし」「勝つことばかりを知りて、負くることを知らざれば、害その身に

至る」といった遺訓は、すべて「身のほどを知れ」という教えに外なら

ないが、この意味の言葉は『論語』の各章で何度も繰り返し説かれている。

ただし一般の人が孔子の学問を論ずるような場合、よく孔子の精神を探り、

文章の裏の裏までくみ取るような読み方をしていかないと、表面的になって

しまう怖れがある。だからわたしは、「社会で生き抜いて行こうとする

ならば、まず『論語』を熟読しなさい」というのだ。

最近では、世の中の進歩に従って欧米各国から新しい学説が入ってくる。

しかしその新しさは、われわれから見ればやはり古いものだ。

すでに東洋で数千年前にいっていることと同一のものを、ただ言葉のいい

回しを上手に替えているに過ぎないと思われるものも多い。

欧米諸国の、日々進歩する新しいものを研究するのも必要であるが、東洋

古来の古いもののなかにも、捨てがたいものがあることを忘れてはならない。

 

● 「孟子」

 

 前三七二?〜前二八九 本名は孟軻(もうか)。

 人間の本性は善であるという「性善説」を唱えた思想家。

 

● 「神君遺訓」

 

 現代では偽作とする見方が有力で、徳川光圀作の「人のいましめ」が

 元になっているという検証もある。儒教が江戸幕府に定着したのも、

 実際には五代将軍綱吉の頃からといわれている。

 

● 「曾子」

 

 前五〇五〜前四三六 名は参。

 孔子の死後、魯の国における孔子学派を引き継いだ。

 

 

 

この続きは、次回に。

トップへ戻る