現代語訳「論語と算盤」⑥
□ 『論語』はすべての人に共通する実用的な教訓
初めて商売人になるという時、ふと感じたのが、「これからは、いよいよ
わずかな利益をあげながら、社会で生きていかなければならない。
そこで志をいかに持つべきなのだろう」ということだった。
その時、前に習ったことのある『論語』を思い出したのである。
『論語』には、おのれを修めて、人と交わるための日常の教えが説いて
ある。『論語』はもっとも欠点の少ない教訓であるが、この『論語』で
商売はできないか、と考えた。
そしてわたしは、『論語』の教訓に従って商売し、経済活動をしていく
ことができると思い至ったのである。
「わたしは『論語』で一生を貫いてみせる。金銭を取り扱うことが、なぜ
賤(いや)しいのだ。君のように金銭を賤しんでいては、国家は立ちゆかない。
民間より官の方が貴いとか、爵位が高いといったことは、実はそんなに
尊いことではない。人間が勤めるべき尊い仕事は至るところにある。
官だけが尊いわけではない」と『論語』などを引用しながら、いろいろと
反論や説明に努めたのである。そしてわたしは、『論語』をもっともキズが
ないものだと思ったから、『論語』の教訓を目安として、一生商売をやって
みようと決心した。
それは明治六(一八七三)年の五月のことであった。
『論語』は決してむずかしい学問上の理論ではないし、むずかしいものを
読む学者でなければわからない、というものでもない。
『論語』の教えは広く世間に効き目があり、もともとわかりやすいもの
なのだ。それなのに、学者がむずかしくしてしまい、農民や職人、商人
などが関わるべきではないし、商人や農民は『論語』を手にすべきでは
ない、というようにしてしまった。これは大いなる間違いである。
このような学者は、たとえてみると、口やかましい玄関番のようなもので、
孔子には邪魔ものなのだ。こんな玄関番を頼んでみても、孔子に面会する
ことはできない。孔子は決してむずかし屋ではなく、案外さばけていて、
商人でも農民でも誰にでも会って教えてくれるような方なのだ。
孔子の教えは、実用的で卑近な教えなのだ。
● 貴い
「非常に貴重である様」「地位が高いこと」という2つの意味がある
「貴い」には、「非常に価値があり貴重である様」「身分や地位が極めて
高い様」という2通りの意味があります。
「貴」という漢字は「貴重」などの単語の使用例があるように、「他に
代えるものがなく、価値がある様・誰が見ても価値がある様」を指して
「貴い」と表現します。
また、「高貴」という単語があるように、「身分や地位が高いこと」に
対しても「貴い」という表現を使用することができます。
「貴い」の読み方は「たっとい」「とうとい」
「貴い」は「たっとい」あるいは「とうとい」と読みます。
聖徳太子の教えのひとつに「和を以て貴しとなす(わをもってたっとしと
なす)」がありますが、この「貴し」と同じ読み方をします。
一方で、「とうとい」という読みも可能です。
「たっとい」という読みよりも耳馴染みがあるため、聞いている人もわかり
やすいかもしれません。
● 卑近(ひきん)
身近でありふれていること。高尚でなくわかりやすいこと。
また、そのさま。
● 高尚(こうしょう)
学問・技芸・言行などの程度が高く上品なこと。
けだかくてりっぱなこと。
● 言行(げんこう)
言葉と行い。口で言うことと実際に行うこと。
この続きは、次回に。