お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」⑨

□ 争いはよいのか、悪いのか

 

世間には、争いを絶対になくし、いかなる場合においても争いをすると

いうことはよろしくないし、「人から右の頬を打たれたなら、左の頬を

差し出せ」などと説く者もある。

では、他人と争いをするということは、人が生きていくなかで果たして

利益になるものだろうか。逆に不利益を与えるものだろうか。

実際問題となると、これは随分人によって意見が異なることだろうと思う。

「争いは断じてなくすべきでない」というものがあるかと思えば、また

「絶対になくすべきだ」と考えている人もいる。

わたし自身の意見としては、争いは何があってもなくすべきものではなく、

世の中を渡っていくうえでもはなはだ必要なものであると信ずるのである。

わたしに対しては、世間では「あまりに円満すぎる」などと非難もある

らしいが、世間の人たちが考えているような、争いを絶対に避けるのを、

世を渡る唯一の方針としているような円満な人間でもない。

中国古代の思想家である孟子は、「敵国や外患がないと、国は必ず滅んで

しまう」と述べている。

いかにもその通りで、国家が健全な発達を遂げていくためには、商工業に

おいても、学術や芸術、工芸においても、また外交においても、常に外国と

争って必ずこれに勝って見せるという意気込みがなければならない。

国家ばかりではない、一個人においても、常に周囲に敵があってこれに

苦しめられ、その敵と争って必ず勝って見せる気概がなくては、決して

成長も進歩もない。

後輩の指導にあたる先輩にも、ざっと見たところ、二種類の人物がある

ように思われる。その一つは、何事も後輩に対して優しく親切に接する

人だ。決して後輩を責めたり、いじめたりせず、手厚い親切で後輩を引き

立てて、後輩の敵となるようなことは絶対にしない。また、後輩にいか

なる欠点やミスがあっても、必ず見方にまわってくれ、どこまでも後輩を

守ってゆくことを信条にしていく。

こういうタイプの先輩は、後輩より厚い信頼を受け、やさしい母親のように

懐かれ、慕われるものである。しかし、このような先輩が果たして後輩の

ために真の利益になるかどうかは、いささか疑問である。

もう一方のタイプはちょうどこれと反対で、いつでも後輩に対して敵国の

ような態度をとる。後輩の揚げ足をとることばかりをわざとして喜び、

何か少しの欠点が後輩にあれば、すぐガミガミと怒鳴りつけ、これを叱り

飛ばして、完膚なきまでにののしり責める。

ミスでもすると、もうまったく取り成しようがないほど、つらく後輩に

あたる人である。

このように一見残酷な態度に出る先輩は、往々にして後輩の恨みを買う

もので、後輩たちの人望はきわめて乏しいものである。

しかしこのような先輩は、本当に後輩の利益にならないのだろうか。

この点は、若いみなさんでとくに熟考してしかるべきものだろうと思う。

どんな欠点があっても、またミスを犯しても、あくまで守ってくれる先輩の

厚い親切心は、本当にありがたいものであるに違いない。しかし、この

ような先輩しかいないとなれば、後輩の奮発心をひどく失わせるもので

ある。

「たとえミスしても先輩が許してくれる」とか、極端な例でいえば、

「どんなミスをしても、したらしたで先輩が助けてくれる。だから、

あらかじめ心配する必要はない」などと至極のん気に構えて、事業に取り

組むにも綿密な注意を欠いたり、軽々しいことをしたりするような後輩を

作ってしまう結果となり、どうしても後輩の奮発心を鈍らすことになる

のである。

これに反し、後輩をガミガミと責めて、常に後輩の揚げ足を取ってやろう、

やろうという気持ちの先輩が上にあれば、その下にある後輩は、一瞬も

油断できず、一挙一動にもスキを作らないようにと心掛けるようになる。

「あの人に揚げ足を取られるようなことがあってはならない」と、振舞い

にも自然に注意するようになり、ハメを外したり、怠けるようなことを

慎み、一般的に後輩たちの身が引き締まるようになるものである。

 

● 外患

 

外国や外部からの圧迫や攻撃を受けるおそれ。外憂。

 

● 完膚(かんぷ)なきまで

 

そもそも、「完膚」とは『傷のない、完全な皮膚』を指す言葉。

完膚なきまで」とは『傷のない皮膚がない』状態、つまり「無傷な

場所が無いほどに」という意味になります。

 

● 熟考(じゅっこう)

 

念を入れてよく考えること。熟慮

「熟考を重ねる」「熟考した上で行動

 

● 奮発心

 

奮発した心。ふるいたつ心。

 

 

この続きは、次回に。

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