お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」⑬

第2章 立志と学問

 

□ 現在に働け

 

わたしは明治維新後、間もなく大蔵省(現在の財務省)の役人となったが、

この当時、日本には物質的、科学的な教育がほとんどないといってよい

くらいであった。

それまでの武士への教育には、レベルの高い内容がいろいろと用意されて

いた。一方で農工商に携わる人への学問は、ほとんどなかった。

それだけでなく、一般の教育に関してもレベルが低く、その多くは政治

教育といった感じだった。

海外との交流が盛んになったのに、教育に対する交流が盛んになったのは、

教育に対する知恵や見識などなかったのだ。また、国の経済活動を盛んに

しようと思っても、それに対する知恵や見識など、それ以上にない状況

だった。

一ツ橋の高等商業学校(現在の一橋大学)は明治八(一八七五)年にできた

ものであるが、何回も廃校させられそうになった。これは、当時の人が、

商人などに高い知識などいらないと思っていたのである。わたしなどは

海外と交流していくためには、どうしても科学的知識が必要であるという

ことを、声を嗄(か)らして叫んできた。

幸いにも少しずつその機運が起こり、明治十七、八(一八八四〜八五)年には

盛り上がりを見せて、間もなく才能と学問ともに備わった人が輩出される

ようになった。

それ以後、今日までわずか三、四十年という短い年月に、日本も外国にも

劣らないくらい物質文明が進歩した。また、しかしその間に大きな弊害

生じたのである。徳川三百年の間を太平ならしめた武力による政治も、

弊害を他に及ぼしたことは明らかであるが、この時代に教育された武士の

なかには、レベルが高く視野の広い気質や行いの持ち主もまた、少なく

なかった。ところが今日の人にはそれがない。

富は積み重なっても、哀しいかな武士道とか、あるいは社会の基本的な

道徳というものが、なくなっているといってもよいと思う。

つまり、精神教育がまったく衰えていると思うのである。

われわれも明治六(一八七三)年ごろから、物質文明の進歩に微力ながらも

全力を注ぎ、今日では幸いにも有力な実業家を全国至るところに見るように

なった。また、国の豊さも大いに増大した。ところが何としたことか、

人格は明治維新前よりも退歩したと思う。いや、退歩どころではない、

消滅すらしないかと心配しているのである。

どうも物質文明が進んだ結果は、精神の進歩を害したと思うのである。

わたしは常に、精神の向上を、富の増大と共に進めることが必要であると

信じている。人はこの点から考えて、強い信仰を持たなければならない。

わたしは農家に生まれたから教育も低かった。しかし幸いにも中国古典の

学問を修めることができたので、ここから一種の信仰を持つことができた

のである。わたしは極楽地獄も気にかけない。

ただ現在において正しいことを行ったならば、人として立派なのだ、と

信じている。

 

● 見識

 

1. 物事を深く見通し、本質をとらえる、すぐれた判断力。

    ある物事に対する確かな考えや意見。識見。「見識を備えた人物」

2. 気位 (きぐらい) 。みえ。「彼女はいやに見識が高い」

 

● 機運

 

時のめぐりあわせ。物事をなす時機。「機運が熟する」「機運に乗じる」

 

● 輩出

 

すぐれた人物が続いて世に出ること。また、人材を多く送り出すこと。

 

● 弊害

 

害になること。他に悪い影響を与える物事。害悪。

 

● 太平

 

世の中が平和に治まり穏やかなこと。また、そのさま。

 

● 哀しい

 

特に明確な使い分けはないようですが、常用漢字として新聞や公的な文章に

用いられるのは「悲しい」の方となります。

「哀しい」の方も常用漢字ではありますが、どちらかというと誌的な表現

として扱われていて、文学などにおいて心情をあらわす際などに用いら

れます。

「哀」という漢字は単体で、

・あわれ  ・悲しい  ・悲しむ  ・心を傷める  ・切ない

という意味があります。なので「哀しい」と表現する際は単純な悲しさ

だけでなく、切なさや、いたたまれなさも含まれています。

 

● 武士道

 

日本武士階級発達した道徳鎌倉時代から発達し、江戸時代儒学

思想結合して完成した。忠誠・勇敢・犠牲信義廉恥礼節・名誉・

質素情愛などを尊重した。士道

 

● 精神教育

 

徳性の育成や意志の鍛錬などを目的とする教育。

身体の鍛錬教育に対していう。

 

● 退歩

 

あともどりすること。

能力や技術などが以前より低くなること。後退。

 

● 物質文明

 

科学技術などの発達に伴う、物質を基盤とする文明。

 

● 極楽

 

1. 《(梵)Sukhāvatīの訳》仏語。阿弥陀仏の浄土。

  西方十万億土のかなたにあり、広大無辺にして諸事が円満具足し、

     苦患 (くげん) のない、この上なく安楽な世界。浄土教の理想とする

     仏の国で、念仏を唱えれば、阿弥陀仏の本願力によってこの浄土に

     往生するという。西方浄土。極楽安養浄土。極楽界。極楽浄土。

2.  安楽でなんの心配もない状態や境遇。また、そういう場所。

    「この世の極楽を味わう」⇔地獄

 

● 地獄

 

仏教における地獄

仏教における六道の一つ、地獄界のこと。六道輪廻においては、大罪を

犯した者が死後生まれ変わる世界であり、達による果てしない拷問が

行われる。神仏習合が進んだ古代中世日本で広く受け入れられた

地獄観。 

 

 

 

 

この続きは、次回に。

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