お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」⑮

□ 大きな志と、小さな志との調和

 

生まれながらの聖人なら、志を立てることに迷いはないかもしれない。

しかしわれわれ凡人は、そうはいかないのが常である。

目の前の社会風潮に流されたり、一時の周囲の事情にしばられたりして、

自分の本領でもない方面へ、うかうかと乗り出してしまうものが多い。

これでは真に志を立てたとはいえない。

とくに、世の中に大きな変化がなくなってきた今日では、一度立てた志を

途中で変えるようなことがあっては、大変な不利益を被る事になる。

だから、最初に志を立てるときに、もっとも慎重に考えをめぐらす必要が

ある。その工夫としては、まず自分の頭を冷やし、その後に、自分の長所と

するところ、短所とするところを細かく比較考察し、そのもっとも得意と

するところに向かって志を定めるのがよい。またそれと同時に、自分が

その志をやり遂げられる境遇にいるのかを深く考慮することも必要である。

たとえば、身体も強壮、頭脳も明晰なので、学問で一生を送りたいとの

志を立てても、そこに経済力が伴わないと、思うようにやり遂げられない

ような場合もある。だから、「これから、どこから見ても一生を貫いて

やることができる」という確かな見込みが立ったところで、初めてその

方針を確定するのがよい。それなのに、きちんとした考えを組み立てて

おかないまま、ちょっとした世間の景気に乗じて、うかうかと志を立てて、

駆け出すような者も少なくない。

これでは到底、最後までやり遂げられるものではないと思う。

すでに根幹にすえる志が立ったならば、今度はその枝葉となるべき小さな

志について、日々工夫することが必要である。どんな人でも、その時々に

いろいろな物事に接して、何かの希望を抱くことがあるだろう。

その希望をどうにかして実現したいという観念を抱くのも一種の志を立てる

ことで、わたしのいう「小さな志を立てること」とは、つまりこのこと

なのだ。

 

一例をあげて説明すれば、ある人が、ある行いによって世間から尊敬された

ので、「自分もどうにかしてああいう風になりたい」という希望を抱くのも、

これまた一つの「小さな志を立てること」になる。

では、この「小さな志を立てること」に対しては、どのような工夫をすれば

よいのか。まずその条件となるのが、「一生涯を通じて、『大きな志』

からはみ出さない範囲のなかで工夫する」ということなのだ。

また、「小さい志」の方は、その性質からいって、つねに移り変わっていく。

だから、この移り変わりによって、「大きな志」の方に動揺を与えない

ようにするための準備が必要である。つまり、「大きな志」と「小さな志」で

矛盾するようなことがあってはならないのだ。この両者は常に調和し、

一致しなければならない。

さて、ここまで述べたことは、主として志を立てる上での工夫だった。

では昔の人はどのように志を立てたのか、参考として孔子の例について

研究してみよう。

『論語』は、わたしが普段から社会で生きていくための教科書にしている

古典だが、そのなかから、孔子の志の立て方を探してみると、こんな一節が

ある。

 

「吾、十有五にして学に志す(わたしは十五歳で学問に志した)

三十にして立つ(三十歳で自立した)

四十にして惑わず(四十歳で迷わなくなった)

五十にして天命を知る(五十歳で天命を知った)

 

ここから推測すると、孔子は十五歳のとき、すでに志を立てていたと

思われる。しかし、ここでの「学に志す」という発言は、「学問によって

一生を過ごすつもりなのだ」という志を固く定めたものかどうか、やや

疑問が残る。おそらく「これから大いに学問しなければならないな」くらいに

考えていただけではないだろうか。

さらに進んで、「三十にして立つ」といわれたのは、この時すでに社会で

自立していけるだけの人物に成長し、「自分を磨き、よき家庭を築き、

国を治め、天下を平和にする」という技量を身につけたと確信できる境地

至ったことを意味するのであろう。また、「四十にして惑わず」とある

ことからは、次のように想像できる。つまり世間を渡っていくにあたり、

外からの刺激くらいでは、ひとたび立てた志が決して動じないという境地に

四十歳で達し、どこまでも自信ある行動が取れるようになった。という

わけだ。

ここに至って、立てた志がようやく実を結び、かつ固まったということが

できるだろう。

だとすれば、孔子が志を立てたのは、十五歳から三十歳の間にあったように

思われる。

「学に志す」といわれた頃には、まだいくぶん志が動揺していたらしいが、

三十歳に至ってやや決心のほどが見え、四十歳になって初めて志を完全に

立てられたようなのだ。これをまとめれば、次のようになる。

 

志を立てることは、人生という建築の骨組みであり、小さな志はその飾り

なのだ。だから最初にそれらの組み合わせをしっかり考えてかからないと、

後日、せっかくの建築が途中で壊れるようなことにもなりかねない。

志を立てることは、このように人生にとって大切な出発点であるから、

誰しも簡単に見過ごすことはできないのである。

志を立てる要は、よくおのれを知り、身のほどを考え、それに応じて

ふさわしい方針を決定する以外にないのである。

誰もがその塩梅を計って進むように心がけるならば、人生の行路において、

問題の起こるはずは万に一つもないと信じている。

 

● 聖人

 

1. 高い学識・人徳や深い信仰をもつ、理想的な人。聖者。

2. 儒教で、理想的な人とする尭 (ぎょう) 舜 (しゅん) 禹 (う) 殷 (いん) 

     湯王文王あるいは孔子などをいう。

3. カトリック教会で、殉教者や、信仰と徳に特に秀で教皇によって公式に

     列聖された人。

4. 濁酒を賢人というのに対し、清酒のこと。

 

● 凡人

 

普通の人。ただの人。

 

● 本領

 

 その人の備えているすぐれた才能や特質。「本領を発揮する」

 

● 強壮

 

からだが丈夫で元気なこと。また、そのさま。「強壮な身体」

 

● 明晰

 

1. 明らかではっきりしていること。また、そのさま。「―な文章」

2. 論理学で、概念の外延が明確で他とはっきり区別できること。明白。→判明

 

根幹

 

1. 根と幹。

2. 物事の大もと。ねもと。中心となるもの。

   「民主主義が近代社会の根幹をなしている」

 

● 天命

 

1. 天の命令。天が人間に与えた使命。「人事を尽くして天命を待つ」

2. 人の力で変えることのできない運命。宿命。

3. 天の定めた寿命。天寿。「天命を全うする」「天命が尽きる」

4. 天の与える罰。天罰。

 

● 境地

 

1. その人の置かれている立場。「苦しい境地に立たされる」

2. ある段階に達した心の状態。「悟りの境地」

3. 芸術などの、分野・世界。「新しい境地を開拓する」

4. 場所。土地。環境。

 

● 塩梅

 

1. 料理の味加減。「―をまちがえて、食べられたものではない」

2. 物事のぐあい・ようす。「いい―にメンバーがそろっている」

3. 身体のぐあい・ようす。「―が悪いので仕事を休む」

4. (按排・按配)物事のぐあい・ようす・程合いを考えて、程よく並べ

     ととのえたり処理したりすること。

   「文化祭での出し物の順をうまく―する」

 

● 行路

 

1. 道を行くこと。また、旅行をすること。

2. 行く道。道すじ。「行路の変更を余儀なくされる」

3. 生きていく道すじ。世渡りの道。世路 (せろ) 。「人生行路」

 

● 万に一つ

 

可能性が全くない、絶対にありえない、と強調する表現。

否定語(ない)を伴って用いられる。

 

 

この続きは、次回に。

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