お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」⑯

□ 立派な人間の争いであれ

 

わたしのことを、絶対に争いをしない人間であるかのように思っている人が、

世間には少なくないように見受けられる。

もちろん、好んで他人と争うことはしないが、まったく争いをしないと

いうわけではない。正しい道をあくまで進んで行こうとすれば、争いを

避けることは絶対にできないものなのだ。

何があっても争いを避けて世の中を渡ろうとすれば、善が悪に負けてしまう

ことになり、正義が行われないようになってしまう。

わたしはつまらない人間だが、正しい道に立っているのに悪と争わず、

道を譲ってしまうほど、円満で不甲斐ない人間ではないつもりである。

人間はいかに人格が円満でも、どこかに角がなければならない。

古い歌にもあるように、あまり円いとかえって転び安くなるのだ。

わたしは世間で思われているほど、決して円満な人間ではない。

一見円満に見えたとしても、実際はどこかでいわゆる円満でないところが

あると思う。

 

若いときはもとより、七十歳の坂を超えた今日になっても、わたしの信ずる

ところをゆり動かし、これを覆そうとするものがあらわれれば、わたしは

断固としてその人と争うことをためらわない。

わたしが信じて正しいとするところは、いかなる場合においても決して

他に譲ることはしない。ここがわたしの円満ではないところだと思う。

人には、年寄りだとか若いとかに関係なく、誰でもわたしのように「これ

だけは譲れない」というところがぜひあって欲しいものである。

そうでないと、人の一生というものが、まったく生き甲斐のないものに

なってしまう。人の品性は円満に発達した方が良いといっても、あまり

円満になりすぎると、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」と『論語』

(先進編)で孔子がいっているように、人としてまったく品性がなくなって

しまう。

わたしがまったく円満な人間ではなく、それなりに角もあり、不円満な

ところがある人物であることを証明できる—-証明という言葉を使うのは、

いささか変ではあるが—-実話をちょっと話してみようと思う。

 

—-省略—-

 

□ 社会と学問の関係

 

もともと人情には、こんな陥りがちな欠点がある。

成果を焦っては大局を観ることを忘れ、目先の出来事にこだわっては

わずかな成功に満足してしまうかと思えば、それほどでもない失敗に

落胆する—こんな者が多いのだ。

高学歴で卒業した者が、社会での現場経験を軽視したり、現実の問題を

読み誤るのは、多くの場合このためなのである。

ぜひともこの間違った考えは改めなければならない。

その参考として、学問と社会の関係で、考察すべき例を挙げてみよう。

 

その例とは、地図を見るときと、実地に歩いてみるときとの違いだ。

 

—省略—-

 

この一例は、学問と社会との関係に照らし合わせて考えてみると、すぐに

わかることだと思う。とにかく社会の出来事が複雑なことを、事前にいくら

知ったつもりで備えをしていても、実際には不意をつかれることが多い。

学生はより一層の注意をはらって、このことを研究しておかなければ

ならない。

 

● 人情

 

1. 人間の自然な心の動き。人間のありのままの情感。

  「やすきにつくは人情の常」

2. 人としての情け。他人への思いやり。「人情の厚い人」「人情家」

 

● 大局

 

1. 物事の全体のありさまや、成り行き。大勢。

   「時代の大局を見る」「大局的見地に立つ」

2. 囲碁で、部分でなく大づかみにみた勝負の局面。

 

 

 

この続きは、次回に。

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