お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」⑱

第3章 常識と習慣

 

□ 常識とはどのようなものなのか

 

およそ人として社会で生きていくとき、常識はどんな地位にいても必要で

あり、なくてはならないものである。では、常識とはどのようなものだ

ろう。わたしは、次のように解釈する。まず、何かをするときに極端に

走らず、頑固でもなく、善悪を見分け、プラス面とマイナス面に敏感で、

言葉や行動がすべて中庸にかなうものこそ、常識なのだ。

これは学術的に解釈すれば、「智、情、意(知恵、情愛、意志)」も三つが

それぞれバランスを保って、均等に成長した者が完全な常識であろうと

考える。さらに言葉を換えるなら、ごく一般的な人情に通じて、世間の

考え方を理解し、物事をうまく処理できる能力が、常識に外ならない。

人の心を分析して、「智、情、意」の三つに分類するというのは、心理

学者の説に基づくものだが、この三つの調和がいらないという者など誰も

いないだろう。知恵と情愛と意志の三つがあってこそ、人間社会で活動が

でき、現実に成果をあげて行けるものである。ここでは、常識の原則である。

「智、情、意」の三つについて、すこし述べてみたいと思う。

 

まず「智」とは、人にとってどのような働きをするのだろう。

人として知恵が充分に発達していないと、物事を見分ける能力に不足して

しまう。たとえば、物事の善悪や、プラス面とマイナス面を見抜けない

ような人では、どれだけ学識があったとしても、よいことをよいと認め

たり、プラスになることをプラスだと見抜いて、それを探ることができ

ない。学問が宝の持ち腐れに終わってしまうのだ。

この点を思えば、知恵がいかに人生に大切であるかが理解できるだろう。

しかし、「智」ばかりで活動ができるかというと、決してそうではない。

そこに「情」というものがうまく入ってこないと、「智」の能力は十分に

はっきされなくなってしまう。たとえば、「智」ばかりが膨れ上がって

情愛の薄い人間を想像してみよう。自分の利益のためには、他人を突き

飛ばしても、蹴飛ばしても気にしない、そんな風になってしまうのでは

あるまいか。

もともと知恵が人並み以上に働く人は、何事に対しても、その原因と結果を

見抜き、今後どうなるかを見通せるものだ。このような人物に、もし情愛が

なければたまったものではない。その見通した結果までの筋道を悪用し、

自分がよければそれでよいという形で、どこまでもやり通してしまう。

この場合、他人に降りかかってくる迷惑や痛みなど、何とも思わないほど

極端になりかねない。

そのバランスの悪さを調和していくのが、「情」なのだ。

「情」は一種の緩和剤で、何事もこの「情」が加わることによってバラ

ンスを保ち、人生の出来事に円満な解決を与えてくれるのである。

もしも人間の世界から「情」という要素を除いてしまったら、どうなる

だろう。何事も極端から極端に走って、ついにはどうしようもない結果を

招いてしまうに違いない。だからこそ、人間にとって「情」はなくては

ならない機能なのだ。しかし、「情」にも欠点があって、それは瞬間的に

わきあがりやすいため、悪くすると流されてしまうことだ。

特に、人の喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、愛しさ、憎しみ、欲望といった

七つの感情は、その引きおこす変化が激しいため、心の他の個所を使って

これらをコントロールしていかなければ、感情に走り過ぎるという弊害を

招いてしまう。この時点で、「意志」というものの必要性が生じてくる

のである。

動きやすい感情をコントロールするものは、強い意志より他にはない。

だからこそ、「意」は精神活動の大本ともいえるものだ。強い意志さえ

あれば、人生において大きな強みを持つことになる。

しかし意志ばかり強くて、他の「情」や「智」がともなわないと、単なる

頑固者や強情者になってしまう。根拠なく自信ばかり持って、自分の主張が

間違っていても直そうとせず、ひたすら我を押し通そうとする。

もちろん、こんなタイプも、ある意味から見れば尊重すべき点がないでも

ない。しかし、それでは一般社会で生きる資格に欠け、精神的に問題が

あって完全な人とはいえないのだ。強い意志のうえに、聡明な知恵を持ち、

これを情愛で調節する。さらに三つをバランスよく配合して、大きく成長

させていってこそ、初めて完全な常識となるのである。

現代の人は、よく口癖のように「意志を強く持て」という。

しかし意志ばかり強くてもやはり困りものでしかない。俗にいう「猪武者

(突き進むことしか知らない武者)」のような人間になっては、どんなに

意思が強くても社会で役に立つ人物とはいえないのである。

 

● 中庸

 

1. かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれて

    いること。また、そのさま。「中庸を得た意見」「中庸な(の)精神」

2. アリストテレスの倫理学で、徳の中心になる概念。

     過大と過小の両極端を悪徳とし、徳は正しい中間(中庸)を発見して

    これを選ぶことにあるとした。

 

 ● 聡明

 

聡明」とは、物事の理解が早く、賢いという意味。 

聡明の「聡」は、耳がよく聞こえること、「明」は目がよく見えることを

表しており、そこから理解力や判断力が優れている様子を指すようになり

ました。2020/09/04

 

 

 

この続きは、次回に。

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