Coffee Blake-令和3年4月10日(土) 「二十四孝」①
私は、今「代表のブログ」で『論語と算盤』をご紹介しております。
その中に「二十四孝(にじゅうしこう)」という言葉が出てきます。
「二十四孝(にじゅうしこう)」とは、元代の郭居敬(かくきょけい)の原作と
いわれる、二十四人の孝子を取り上げた教訓書。
江戸時代は寺子屋などでも教えられ、落語のネタにもなっている、との
説明書きがありました。『孝子』とは、親によく仕える子。親孝行な子。
という意味です。
『論語と算盤』では、「郭巨」と「王祥」の二人の孝子が紹介されて
おります。ついては、あらためて「二十四孝」を知りたいと思い、「代表の
ブログ」で4回に分けてご紹介したいと思います。
2021.4.10
株式会社シニアイノベーション
代表取締役 齊藤 弘美
『二十四孝』
ここでは二十四孝の代表的な人物とその内容を記す(文献によって異同が
ある、順不同)。
● 陸績(りくせき)
陸績は6歳の時に袁術(えんじゅつ)の所に居た。袁術は陸績のために、
おやつとして蜜柑を与えた。陸績はそれを3つ取って帰ろうとすると、
袖から蜜柑がこぼれてしまった。
袁術は「陸績君は幼いのに泥棒のようなことをするのかね」と言ったところ、
陸績は「あまりに見事な蜜柑なので、家に持ち帰って母に食べさせ、恩に
報いようと思いました」と言った。
袁術はこれを聞いて「幼いのに何という親孝行な子供であろうか、過去
現在において稀な心がけである」と褒め称えた。
● 田真兄弟
田真(でんしん)、田慶(でんけい)、田廣(でんこう)の3兄弟は、
親亡き後に財産を3等分したが、庭に大きく繁り花を咲かせた木があった。
兄弟はこれも3等分しようと徹夜で考えた。夜が明けたので、木を切ろうと
庭に出てみると、昨日まで繁っていた木が急に枯れていた。
田真はこれを見て「草木にまで心があって、切られようとして枯れたので
あれば、人間ではなおさらである。なんと至らないことであっただろうか」と
言い、切らずにおくと、木はまた元のように見事に繁った。
● 郯子
郯子(たんし)には年老いた両親がおり、眼を患っていた。鹿の乳が眼の
薬になると聞いた両親は、郯子に欲しいと願った。郯子は鹿の皮を身に
まとい、鹿の群れに紛れて入った。そこへ猟師が本物の鹿と間違えて郯子を
射ようとしたが、郯子が「私は本物の鹿ではありません。郯子と言いまして、
親の願いを叶えたいと思い、こうやって鹿の格好をしているのです」と
言うと、猟師は驚いてその訳を聞いた。孝行の志が篤いので射られずに
帰り、親孝行をすることが出来た。
● 蔡順
王莽の時代に天下は乱れ、また飢饉が訪れ、食べる物もなかった。
蔡順(さいじゅん)は母のために桑の実を採り、熟していない物と熟した
物に分けていた。その時、盗賊(赤眉の乱の盗賊と思われる)が現れ
「何故桑の実を2つに分けるのか」と尋ねたところ、蔡順は「私には一人の
母親がおりますが、熟した物は母親に、熟していない物は自分にと思って
いたのです」と言った。盗賊も蔡順の孝行の心を知り、米と牛の足を与えて
去って行った。蔡順はその米と牛の足も母親に与えた。
● 閔子騫
孔子の弟子の閔子騫(びんしけん、子騫は字。諱は損)は幼い時に母を
亡くし、父が再婚して異母弟2人ができた。継母は実子2人を愛したが継子の
閔子騫を憎んで、冬になると実子には綿入りの着物を与えたが、閔子騫には
蘆の穂を入れた着物を与えた。閔子騫が寒さに凍えているのを見て、父が
継母と離縁しようと言うと、閔子騫は「母上が去られては、3人の子供は
凍えます。私1人が凍えていれば、弟2人は暖かいのでどうか離縁しないで
下さい」と言った。継母はこれに感激し、以後は実母のように閔子騫を
可愛がったという。
● 黄香
黄香(こうこう)は母を亡くし、残された父によく仕えた。
夏の暑い時には枕や椅子を団扇で扇いで冷やし、冬の寒い時には布団が
冷たいのを心配し、自分の身体で暖めた。これを知った江夏郡の太守劉護は、
高札を立てて黄香の孝行を褒め称えた。
この続きは、次回に。