現代語訳「論語と算盤」㉕
□ 「経済活動」と「富と地位」を、孔子はどう考えていたか
今まで孔子の教えを信じる学者が、彼の教えを誤解していたなかでももっとも
甚だしいものは、「富と地位」と「経済活動」の二つの考え方であろう。
彼らが『論語』を解釈したところによると、「道徳と思いやりの政治を
掲げて、世の中を治める」ことと、「経済活動によって富と地位を得る」
こととは、火のついた炭と氷のように、一緒にはしておけないものとされて
いる。では孔子は本当に、「富と地位を手にした者は、道徳によって世の中に
貢献する考えなどない。だから、高い道徳を持った人物になりたければ、
金儲けなどしようと思ってはならない」といった内容をといていたのだろうか。
わたしが二十編ある『論語』をくまなく探してみても、そんな意味の言葉は
一つも発見できなかった。いや、むしろ孔子は経済活動の道について語って
いるくらいだ。しかしその説き方が、孔子が他でもよくやっているように、
半面的なものであったため、学者たちはその全体像を理解することができず、
ついには間違った解釈を世の中に伝えるようになってしまったのである。
例をあげると、『論語』のなかにこんな一節がある。
「人間であるからには、だれでも富や地位のある生活を手に入れたいと
思う。だが、まっとうな生き方をして手に入れたものでないなら、しがみ
つくべきではない。逆に貧賤な生活は、誰しも嫌うところだ。
だが、まっとうな生き方をして手に入れたものでないなら、しがみつく
べきではない。逆に貧賤な生活は、誰しも嫌うところだ。だが、まっとうな
生き方をして落ち込んだものでないなら、無理に這い上がろうとしては
ならない」
この言葉は、いかにも富や地位を軽視したような内容に思われるが、実は
一方の側面だけから説かれたものだ。よくよく考えてみれば、富や地位を
軽蔑したようなところは一つもない。あくまで富や地位にのめり込むことを
戒められただけなのだ。この一節から、「孔子は富と地位を嫌っていた」
などと解釈するのは、ひどい間違いだといわなければならない。
孔子が言いたかったことは、「道理をともなった富や地位でないのなら、
まだ貧賤を持ち上げたところなどますますなくなってくる。この一節を
正しく解釈したいなら、「まっとうな生き方をして手に入れたものでない
なら」という箇所に注意するのが何より肝心なのだ。
さらにもう一つ例をあげるなら、同じく『論語』にこんな一節がある。
「富が追求に値するほどの値打ちを持っているものなら、どんな賤しい
仕事についても、それを追求しよう。だが、それほどの値打ちを持たない
なら、わたしは自分の好きな道を進みたい」
これも一般的には、富や地位を軽蔑した言葉のように解釈されている。
しかしいま、まともにこれを読み取るなら、この言葉のなかに富や地位を
軽蔑したような内容は一つも見当たらない。「富が求める値打ちを持って
いるなら、どんな賤しい仕事にもつく」というのは、正しい道や道徳に
よって富が得られるなら、という意味である。
つまり、「正しい道を踏んで」という一句が、この言葉の裏面にあることを
注意しなければならない。そして後半部分は、「正当な方法で富が得ら
れないのであれば、いつでも富に恋々としていることはない。気に入ら
ないことをして富を手にするより、むしろ貧賤に甘んじてまっとうな生き方を
した方がよい」との意味なのだ。
まっとうな生き方に合わない富は見切った方がよいが、好んで貧賤にいた方が
よいなどとはいってないのだ。いま、この一節を簡単にまとめると、
「まっとうな生き方によって得られるならば、どんな賤しい仕事についても
金儲けをせよ。しかし、まっとうではない手段をとるくらいなら、むしろ
貧賤でいなさい」ということになる。やはりこの言葉の一方の側面には、
「正しい方法」ということが潜んでいることを、忘れてはならない。
「孔子は、富を得るためには、賤しい仕事さえ軽蔑しなかった」などと
断言すると、おそらく世の中の学者先生は、目を丸くして驚くかもしれない。
しかし事実はどこまでも事実である。実際に孔子みずから、それを口にして
いるのだから致し方ないのだ。もっとも孔子のいう富は、何があっても
正しいと認められる富のことだ。
ただしくない富や、道に外れた名声であれば、いわゆる「浮き雲」のようで、
すぐに消えてしまう。
ところが孔子の教えを信じる学者たちは、この二つの区別をはっきりさせず、
富や地位、手柄や名声といえば、善悪の区別なく、すべて悪いものだとして
しまった。これは早とちりもいいところだったのではないか。まっとうな
生き方にかなった富や地位、手柄や名声は、孔子もまたみずから進んで
手に入れようとしていたのである。
● 貧賤(ひんせん)
貧しくて身分が低いこと。また、そのさま。「貧賤な(の)身」⇔富貴。
● 恋々と(れんれんと)
思いきれずに執着すること。恋い慕って思いきれないさま。
● 浮き雲
1. 空中に浮かび漂っている雲。
2. 物事の落ち着きがなく不安定なさまのたとえ。
「浮き」と「憂き」をかけて用いることが多い。「浮き雲の生活」
この続きは、次回に。