お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」㉙

第4章 仁義と富貴

 

□ 本当に正しく経済活動を行う方法

 

実業というものを、どのように考えればよいのだろう。

もちろんそれは、世の中の商売や工場生産といった活動が、利潤を上げて

いくことに外ならない。もし商工業が、物質的な豊さをもたらさなかったら、

商工業など無意味になってしまう。しかし、だからといって、経済活動を

行うにあたって、もしみなが、「自分の利益さえ上がれば、他はどうなって

もいいや」と考えていたらどうなるだろう。むずかしいことをいうようだが、

もしそんな事態になれば、孟子という思想家のいうように、「利益のこと

など口にする必要はない。社会のためになる道徳こそ大事なのだ」「上に

いる人間も、下にいる人間もともに利益を追い求めれば、国は危うくなる」

「もし、みんなのためのことを考えずに、自分一人の利益ばかり考えれば、

人から欲しいものを奪い取らないと満足できなくなる」といった事態に

なるのである。だからこそ本当の経済活動は、社会のためになる道徳に

基づかないと、決して長く続くものではないと考えている。

このようにいうと、とかく「利益を少なくして、欲望を去る」とか、

「世の常に逆らう」といった考えに悪くすると走りがちだが、そうでは

ないのだ。強い思いやりを持って、世の中の利益を考えることは、もちろん

よいことだ。しかし同時に、自分の利益が欲しいという気持ちで働くのも、

世間一般の当たり前の姿である。

その中で、社会のためになる道徳を持ちないと、世の中の仕事というのは、

少しずつ衰えてしまう、ということなのだ。

 

省略—-

 

このように現実に立脚しない道徳は、国の元気を失わせ、モノの生産力を

低くし、最後には国を滅亡させてしまう。だから、社会のためになる道徳と

言っても、一歩間違えれば国を滅ぼすもとになることを、頭に入れておかな

ければならない。では、経済活動を重視し、「自分の利益になりさえすれば

よい」「他人などどうでもよい」という考えの方に基づけばよいのだろうか。

 

省略—

 

人というのは往々にして、その仕事が自分の利害には関係のない他人事

だったり、儲かっても自分が幸せにならず、損をしても不幸せにならな

かったりすれば、その事業に全力で取り組もうとしない。

ところが自分の仕事であれば、この事業を発展させたいと思い、実際に

成長させていく。これは争えない事実なのだ。しかし一方で、そういった

気持ちが強すぎ、他人に勝とうとしすぎたり、世の中の空気や事情を読ま

ないまま、自分さえよければいいという気持ちでいたりしたら、どうなる

だろう。必ず自分もしっぺ返しをくらい、一人で利益を上げようと思った

その自分が、不幸に叩き落とされてしまうのだ。

古い昔のように、それほど文明の発達していない時代に着目してみれば、

あるいは「まぐれあたり」ということもあったかもしれない。

しかし、世の中が進歩するに従って、全てのことは規則通りにやらなくては

ならない時代となった。そんな中で、自分さえ都合がよければと思って

いたら、たとえば鉄道の改札を通り抜けるにも、狭い場所で我先にと皆が

ひしめくことになる。これでは誰も通れなくなって困ってしまうのだ。

身近な例で考えても、自分さえよければいいという考え方が結局自分の

利益にならないのは、この一事を見てもわかると思う。だから、わたしが

常に希望しているのは、「物事を進展させたい」「モノの豊かさを実現

したい」という欲望を、まず人は心に抱き続ける一方で、その欲望を実践に

移していくために道理を持って欲しいということなのだ。

その道理とは、社会の基本的な道徳をバランスよく推し進めていくことに

外ならない。

道理と欲望とがぴったりくっついていないと、前にも述べた、中国が衰えた

ような成り行きになりかねない。また、欲望がいかに洗練されようと、

道理に背いてしまえば、「人から欲しいものを奪い取らないと満足でき

なくなる」という不幸をいつまでも招いてしまうモノなのだ。

 

● 実業

 

農業・商業・工業・水産業など、生産・販売に関わる事業。

 

 

 

 

この続きは、次回に。

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