現代語訳「論語と算盤」㉛
□ 貧しさを防ぐために真っ先に必要なもの
わたしは昔から、貧しい人々を救うことは、人道と経済、この両面から
処理しなければならないと思っていた。しかし今日、これにくわえて政治と
いう側面からも、行動を起こす必要が出てきたのではないだろうか。
わたしの友人が、昨年、貧しい人々を救うヨーロッパでの活動を視察
しようと出発した。
—省略—
いかに自分が苦労して築いた富だ、といったところで、その富が自分一人の
ものだと思うのは、大きな間違いなのだ。要するに、人はただ一人では
何もできない存在だ。国家社会の助けがあって、初めて自分でも利益が
上げられ、安全に生きていくことができる。もし国家社会がなかったら、
誰も満足にこの世の中で生きていくことなど不可能だろう。
これを思えば、富を手にすればするほど、社会から助けてもらっている
ことになる。だからこそ、この恩恵にお返しをするという意味で、貧しい
人を救うための事業に乗り出すのは、むしろ当然の義務であろう。
できる限り社会のために手助けしていかなければならないのだ。
「高い道徳を持った人間は、自分が立ちたいと思ったら、まず他人を立た
せてやり、自分が手に入れたいと思ったら、まず人に得させてやる」と
いう『論語』の言葉のように、自分を愛する気持ちが強いなら、その分、
社会もまた同じくらい愛していかなければならない。
世の富豪は、まずこのような観点に注目すべきなのだ。
● 人道
1. 人として守り行うべき道。「人道にもとる行為」「人道上の問題」
● 恩恵
恵み。いつくしみ。「恩恵を施す」「自然の恩恵に浴する」
● 富豪
大金持ち。財産家。
□ 金銭に罪はない
わたしは普段の経験から、「論語とソロバンは一致すべきものである」と
いう自説を唱えている。
孔子は、道徳の必要性を切実に教え示されているが、その一方で経済に
ついてもかなりの注意を向けていると思う。
これは『論語』にも散見されるが、とくに『大学』という古典のなかで
「財産を作るための正しい道」が述べられている。
—省略—
人情の弱点として、どうしてもモノの方に目が行きやすいため、精神面を
忘れてモノ偏重になる弊害が出てくる。これはやむを得ないことだろう。
そして、考え方が幼稚で、道徳もあまり持っていないような者ほど、この
弊害に陥り安いものだ。昔は全体的に見れば、知識も乏しく道義心にも
薄いため、利益や損失に目がくらんで罪を犯すものが多かったと思われる。
だから、ことさら金銭を軽蔑する風潮が高まったわけである。
この点で、今日の社会の状況は、昔よりは知恵や知識もかなり進んで、
思想や感情の面で洗練された人も多くなった。
さらにいい換えれば、一般の人々の人格が高まってきているので、金銭に
対する考え方もかなり進んできた。
立派な手段で収入を得るようにし、善意にあふれた方法でそれを使う人も
多くなってきたので、金銭に対しては公平な見解を抱くようにもなって
いる。しかし前にも述べたように、人情の弱点として、利益が欲しいと
いう思いがまさって、下手をすると富を先にして道義を後にするような
弊害が生まれてしまう。それが行きすぎると、金銭を万能なものとして
考えてしまい、大切な精神の問題を忘れ、モノの奴隷になってしまい
やすいのだ。
こうなると、もちろん責任はその人にあるにせよ、金銭のマイナス面を
警戒して、そのプラス面まで警戒するようになり、再びアリストテレスの
言葉を繰り返す羽目に陥るのだ。
そうはいっても、幸いにして世間一般の進歩とともに金銭に対する観方も
随分まともになり、経済活動と道徳とを分けない傾向が高まっている。
特に欧米では、「まっとうな富は、正しい活動によって手に入れるべき
ものである」という考え方が、着々と実行されてきている。
わが国の若いみなさんも、深くこの点に注意して、金銭のマイナス面に
足をとられず、道義と一緒にする形で金銭の本当の価値を利用していく
よう努力して欲しい、と望むのである。
● 自説
自分の意見・説。「自説に固執する」
● 散見
あちこちに見えること。ちらほら目につくこと。
「雑誌等に散見する新語」
●『大学』
もともと『礼記』という古典の中の一遍だったものを、宋代に朱子学を
興した朱熹が独立させて、「四書」の一つとした。
『大学』とは「大人の学」で、天下の指導者となるべき人の学問の意。
● 偏重(へんちょう)
物事の一面だけを重んじること。「学力を偏重する教育」
● 弊害
害になること。他に悪い影響を与える物事。害悪。
「弊害を及ぼす」「弊害が伴う」
● 道義
人のふみ行うべき正しい道。道理。
「道義にもとる行為」「道義的責任」
この続きは、次回に。