お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」㊱

□ 修験者の失敗

 

NHK大河ドラマ「青天を衝け」で放送されましたので、省略致します。

 

□ 本当の「文明」

 

文明」と「野蛮」という言葉は、お互いの比較で成り立っている。

では、どのような現象を「野蛮」といい、どのような現象を「文明」と

いうのだろう。

その境界線を引くのはとてもむずかしいが、お互いの比較の問題だから、

ある「文明」はさらに進んだ「文明」から見るとやはり「野蛮」になって

しまうのだろう。それと同時に、ある「野蛮」もそれより激しい「野蛮」

から比べれば、「文明」だといえることになる。

では、その「文明」とは何かというと、国の体制が明確になっていて、

制度がきちんと定まり、一つの国として必要な設備が整っていて、法律も

完備し、教育制度も行きとどいていることになるだろう。

しかし、このようなさまざまな政治の枠組みがきちんとしていても、まだ

文明国とはいえない。枠組みが整ったなら、そのうえで一国を維持し、

発展させるような実力を備えなくてはならない。実力というと、軍事力と

いう意味がどうしても強くなるが、他にも警察の制度や地方自治体の組織

なども、みなその力の一部なのだ。これらの要素が十分に備わり、しかも

それぞれがバランスよく調和し、一体化して、何かの比重が高すぎるとか、

まとまりを欠くということのない状態—-それが「文明」といえるので

あろう。言葉を換えれば、その国の枠組みばかりが整備されても、それを

使いこなす人の知識や能力が伴っていなければ、本当の文明国とはいえ

ないのだ。

ただし前にも述べたように、枠組みが完全に整っている国なのに、それを

運用する国民のレベルが今一歩というのは、あまりない話だ。

しかしときには、表面だけみれば完全のように見えるが、中身がまだ

固まっていないという場合もあるに違いない。他人をいくら真似ても実力が

伴わなければ意味がないように、いくら立派な着物を着ても、その人の

雰囲気には似合わないこともあるだろう。だから、本当の「文明」とは、

すべての枠組みがきちんと備わり、そのうえで一般国民の人格と知恵、

能力が揃うことで、初めていえることなのだ。

このように考えていくと、わざわざ貧富という言葉を持ち出さなくても、

「文明」のなかにはおのずと経済力が加わっている、とみてよいだろう。

しかし、見た目と実力とは、必ずしも一致しているとは限らない。

見た目は「文明」でも実力は貧弱—-これはとてもバランスの悪い表現

だけれど、こうした例がないとはいい切れないのだ。だからこそ、本当の

「文明」とは、力強さと経済的豊さを兼ね備えていなければならない。

では、一刻の進歩というのは、一般にどのような傾向を見せるのだろう。

昔から各国の実例を観察すると、枠組みの方の進歩が先になって、実力が

後からついてくる場合が多いように思われる。特に国によっては、軍事力が

まず突出して、経済的豊かさが後に残されるというのは、よくある例

なのだ。

わが日本の現状も、やはりこのようなありさまであるといわなければ

ならない。

わが日本の体制は、天皇制という他の国々にない特徴を持ち、さらに

枠組みの面に関しても、明治維新後に素晴らしい政治家たちが着々と

整備していったので、申し分ない状態だとわたしは思っている。

しかし、それに伴う経済的豊かさが同じように備わっているのかというと、

悲しいかな、まだまだ日の浅い状態なのだ。経済的豊かさの根本となる

実業の育成は、短い年月で満足した成果をあげることができない。

このため、国の体制や制度などの整備状況に比べれば、経済的豊かさは

とても不足しているのだ。

ただし、経済的豊かさを単に身につけるというだけなら、日本は小さいと

いえども国民が一致して努力していけば、色々なやり方も出てくるだろう。

しかし経済的豊かさを実現する前に、まず国の整備のために金銭を使わ

なければならないという現実がある。

「文明」を進展させるために、経済的豊かさを犠牲にしなければならない

ことは、今日の大きな問題に外ならない。国というのは経済的豊かさを

持てばよいわけではなく、どうしても「文明」進展のため、その力の一部を

割かなければならない。言葉を換えれば、その国の体面を保つため、

そしてその国の将来の発展をはかるために、陸海軍の力を持たなければ

ならない。内政にも、外交にも、さまざまな国費を支出する必要がある。

このため、国の枠組み作りのためには、財源の多少のダメージを与えざるを

得ないのだ。しかしそれもバランスを失うと、「文明」が貧弱にもなって

しまう。もし「文明」が貧弱になれば、どんな国の体制や諸制度を整えても、

みな中身がなくなってしまう。やがては「文明」だったものも「野蛮」に

変化してしまうだろう。

このように考えると、「文明」を「本当の文明」に高めていくためには、

経済的豊かさと力強さ、この二つのバランスをうまくとることが必要

不可欠になってくる。わが日本において、今日もっとも心配なのは、

「文明」を進展させることばかりで、経済的豊かさの根本を擦り減ら

しても顧みないマイナス面なのだ。これからは国民が一致して、その

バランスを失わないように努力しなければならないと思う。

 

● 文明

 

人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態。

特に、宗教・道徳・学問・芸術などの精神的な文化に対して、技術・

機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的文化をさす。

 

● 野蛮

 

1. 文化が開けていないこと。また、そのさま。「野蛮な土地」

2. 教養がなく、粗野なこと。また、そのさま。「野蛮な行為」

 

 

 

この続きは、次回に。

 

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