お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」㊴

□ 自分を磨くことに対しての誤解に反論する

 

修養」—-自分を磨くということについて、わたしはある人から攻撃

されたことがある。その内容は、だいたい二つの意味にわかれていた。

まず一つは、「自分を磨くことは、その人の『自分らしさ』を傷つける

からよくない」というものであった。

もう一つは、「自分を磨くと、かえってその人の心がいじけてしまう」

というものであった。わたしとは異なるこれらの見解に対して、反論して

おいた内容をここでは述べてみたいと思う。

まず、「自分を磨くことは、その人らしさの成長を邪魔するのでよく

ない」というのは、自分を磨くことと、自分を飾り立てることを取り

違えているのではないかと思う。

自分を磨くというのは、自分の心を耕し、成長させることだ。

言葉でいえば「練習」「研究」「克己」「忍耐」といった熟語の内容を

すべてを含み、理想の人物や、立派な人間に近づけるよう少しずつ努力

することを意味している。だから、自分を磨いたからといって「自分ら

しさ」が損なわれてしまうようなことはない。人が自分磨きに本当に努力

したならば、一日一日とあやまちを直して、よい方向に進んで、理想の

人物に近づいていけるのである。

もし自分を磨いたために、「自分らしさ」や「ありのままの自分」が

損なわれてしまうというのなら、理想の人物や立派な人物は、人が成長

しきった姿ではないことになる。そんなはずがないのではないか。

自分を磨いたために見せかけだけ立派になったり、逆にいじけてしまったり

したとするなら、それは間違った自分磨きであり、われわれが常に口にする

自分磨きとは別の物なのだ。

もちろん「自分らしさ」や「ありのままの自分」こそ、人のもっとも

輝いている部分だというのは、わたしも賛成するところだ。

しかし、人の喜び、怒り、哀しさ、楽しさ、愛しさ、憎さといった「ありの

まま」の感情の動きが、どんな場合でも問題ないとはいえないだろう。

理想の人物や立派な人物は、感情が動くときにさえ、ケジメがあるものだ。

だから、自分を磨いたからといって心がいじけ、「自分らしさ」「ありの

ままの自分」を傷つけると見るのは、大変な間違いだといい切れるので

ある。また自分を磨くと、人の心をいじけさせてしまうというのは、礼儀や

ケジメ、敬意をあらわすといった要素を無視した、愚かな考えから来て

いると思う。

親や年配者をうやまったり、良心的でかつ信頼感があり、社会の基本的な

道徳を持つことは、すべて自分を日頃から磨くことで得られるものだ。

愚かでいじけた心では、決して手にできるものではない。

『大学』という古典にある、「格物致知—モノの本質を掴んで理解する」と

いう教えや、王陽明という思想家の説いた、「致良知—心の素の正しさを

発揮する」といった考え方は、すべて自分を磨くことを意味している。

土人形を造るのとはわけが違う。自分の心を正しくして、魂の輝きを解き

放つことなのだ。自分を磨けば磨くほど、その人は何かを判断するさいに

善悪がはっきり分かるようになる。だから、選択肢に迷うことなく、ごく

自然に決断できるようになるのである。

自分を磨くことで、人の心をいじけさせたり、愚かにしてしまうというのは

誤解もいいところで、それは人の知恵をますのにも必要なことなのだ。

もちろん、だからといって自分を磨くさいに、知恵や知識は重視しなくて

よいというわけではない。ただし今の教育は、知恵や知識は重視しなくて

よいというわけではない。ただし今の教育は、知恵や知識を身につける

ことばかりに走ってしまい、精神力を鍛える機会が乏しくなっている。

だから、それを補うために自分磨きが必要なのだ。自分を磨くことと、

学問を修めることが相容れないと思うのは、これも大いなる誤解でしか

ない。

おそらく自分を磨くというのには、広い意味がある。

精神も、知恵や知識も、身体も、行いもみな向上するよう鍛錬すること

なのだ。これは青年も老人も、ともにやらなければならない。

これが挫折せずにうまく続けられれば、ついには理想の人物のレベルに

達することができるのである。

以上は、わたしが二つの反対意見—つまり自分磨きなどいらないという

人物に対して反論した中身だが、若いみなさんも、ぜひこの考え方で自分を

大いに磨いて欲しいと切望するのである。

 

● 修養

 

知識を高め、品性を磨き、自己の人格形成につとめること。

「刻苦勉励して修養を積む」「精神を修養する」

 

● 克己(こっき)

 

自分の感情・欲望・邪念などにうちかつこと。

「克己して学問に励む」「克己心」

 

● 格物致知(かくぷつちち)

 

物事の道理や本質を深く追求し理解して、知識や学問を深め得ること。

 

● 致良知(ちりょうち)

 

良知を最大限に発揮させること。良知はもと孟子の唱えたもので、

王陽明はこれを陽明学の根本的な指針とした。→良知

 

● 良知(りょうち)

 

《「孟子」の説から》人が生まれながらにもっている、是非・善悪を

誤らない正しい知恵。「良知良能」→致良知 (ちりょうち) 

 

 

 

この続きは、次回に。

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