お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」㊵

□ 実際に効果のある人格の養成法

 

現代の青年が、いまもっとも切実に必要としているのは、人格を磨くことだ。

明治維新の前までは、社会における道徳教育が比較的盛んな状態だった。

ところが西洋の文化が輸入するにつれ、思想界には少なからず変革の波が

起こって、今日では、道徳がひどく混沌とする時代状況になってしまった。

今日、儒教は古いとして退けられてしまったので、現代の青年たちには

十分には理解されなくなっている。かといって、キリスト教が一般の道徳の

規範になっているわけでは、なおさらない。また、明治時代になってから

何か新しい道徳が生まれたわけでもない。だから思想界はまったくの混乱

状態で、国民はどれを信じてよいのか判断に苦しんでいるくらいだ。

このため一般の青年たちも、人格を磨くことを忘れ去っているように

見える。これはとても憂うべき傾向である。世界の大国がいずれも宗教を

持って道徳の規範を樹立しているのに比べ、わが日本だけがこのありさま

では、大国の国民としても恥ずかしいことではないか。

たとえば、社会現象をみてみよう。人は往々にして利己主義—自分だけが

よければいいという考えに走り、利益のためにはどんなことにも耐え忍んで

いくといった傾向を持ち始めている。昨今では、国を豊かにしようとする

よりも自分を豊かにする方に重きを置こうとするくらいだ。

もちろん、自分が豊かになることが大切なのはいうまでもない。

 

省略—-

 

話が豊かさの方に流れてしまったが、何にせよ、社会に生きる人々の

気持ちが利益重視の方向に流れるようになったのは、およそ世間一般

から人格を磨くことが失われてしまったからではないだろうか。

だからわたしは、青年に対してひたすら人格を磨くことを勧めるのだ。

青年というのはまじめで素直なものだし、しかも活力が体中にあふれて、

それが外にまで盛んに漏れ出している。そんな力を活かして、どんな脅しや

圧力にも負けないような人格を養成し、やがては自分を経済的に豊かに

するとともに、国家の力や豊かさを増すよう努力する必要があるのだ。

信じる対象が定まらない今の社会で生きていかなければならない青年は、

危険が多い分、自分も慎重に振舞わなければならない。

さて、人格を磨くための方法や工夫は色々とある。仏教に信仰を求める

のもいいだろうし、キリスト教から信念を汲みだすのも一つの方法だろう。

この点わたしは、青年時代から儒教に志してきた。その始祖にあたる孔子や

孟子といった思想家はわたしにとって生涯の師である。

だから、彼らのとなえた、

 

「忠」—良心的であること。

「信」—信頼されること。

「孝弟」—親や年長者を敬うこと。

 

などを重視するのは、とても権威のある人格の養成法だと信じている。

要するに、忠信孝弟を重視するのは、「仁」—物事を健やかに育む。

という最高の道徳を身につけるために、また、社会に生きていくうえでも

一日も欠かせない条件なのだ。

この忠信孝弟を、自分を磨くうえでの基本にすえたなら、さらに進んで

知恵や能力を発展させていくための工夫をしなければならない。

知恵や能力の発展が不十分だと、社会で何かをやろうという場合、完全な

形でやり遂げられなくなってもしまう。これでは忠信孝弟さえ、うまく

実践していけなくなってしまうだろう。なぜならば、知恵や能力がきちんと

発達しているからこそ、物事に対してよし悪しの判断ができ、生活を豊かに

していけるからだ。この結果、忠信孝弟のような根本的な教えと一致した

形で、世を渡るうえでの誤りや失敗もなく、成功した人として人生を全う

できるようになる。

成功は、人生の最後にはぜひ勝ち取りたいものであり、これを近頃は

さまざまに論じる人がいる。なかには、「目的を達するためには手段を

選ばない」といったように成功の意義を誤解する人もいる。さらには、

どんな手段を使っても豊かになって地位を得られれば、それが成功だと

信じている者すらいるが、わたしはこのような考え方を決して認めることが

できない。素晴らしい人格をもとに正義を行い、正しい人生の道を歩み、

その結果手にした豊かさや地位でなければ、完全な成功とはいえないのだ。

 

● 混沌

 

1. 天地がまだ開けず不分明である状態。

2. すべてが入りまじって区別がつかないさま。

  「―たる政治情勢」「次期会長の人選は―としてきた」

 

● 規範

 

1. 行動や判断の基準となる模範。手本。「社会生活の―」

2. 《(ドイツ)Norm》哲学で、判断・評価・行為などの基準となるべき原則。

 

 

 

この続きは、次回に。

トップへ戻る