お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」㊷

□ 王道—「思いやりの道」をただ歩むだけだ

 

思うに、社会問題とか労働問題といったものは、たんに法律の力ばかりで

解決されるものではない。たとえば一家庭内においても、父子兄弟親戚に

至るまで、みな自分の権利や義務を主張して、何から何まで法律の裁きを

仰ごうとすれば、どうなるだろう。

みなの気持ちは険悪となり、人と人との間にカベが築かれて、事あるごとに

争いがおこり、一家が仲良く一つにまとまることなど望めなくなってしまう。

わたしは、富める者と貧しい者との関係も、これに等しい面があると

思っている。資本家と労働者との間には、もともと家族的な関係が成立

していた。ところが今、法を制定して、それによって取り締まって行こう

としている。これは一応もっともな思いつきではあるかもしれないが、

これを実施した結果が果たして当局の理想通りに行くものであろうか。

資本家と労働者との間には、長年に渡って結ばれてきた一種の情愛の

雰囲気があった。ところが法を設けて、両者の権利や義務を明らかに

主張できるようにしてしまえば、自然の成り行きとして、せっかくの

両者の義務を明らかに主張できるようにしてしまえば、自然の成り行き

として、せっかくの両者の関係にスキマを作ってしまうことにならない

だろうか。それでは政府側が骨を折った甲斐もなく、また目的にも反する

ことになってしまう。

ここは一番、深く研究しなければならないところではないかと思う。

ためしにわたしの希望を述べるとするなら、法の制定はもちろんよいが、

法があるからといって、無闇にその裁きを仰がないようにして欲しいと

思っている。もし富める者も貧しい者とともに「思いやりの道」を選び、

そして「思いやりの道」こそ人の行いを図る定規であると考えて社会を

渡っていくなら、百の法律があろうと、千の規則があろうと、そちらの

方がすぐれていると思うのだ。

言葉を換えれば、資本家は「思いやりの道」によって労働者と向き合い、

労働者もまた「思いやりの道」によって資本家と向き合い、両者のかか

わる事業の損得は、そもそも共通の前提に立っていることを悟るべき

なのだ。

そして、お互いに相手を思いやる気持ちを持ち続ける心がけがあってこそ、

初めて本当の調和が実現できるのである。

実際に両者がこうなってしまえば、権利や義務といった考え方は、無意味に

両者の感情にミゾをつくるばかりで、ほとんど何も効果を発揮しないと

いってよいだろう。

わたしが前に欧米に旅行したさい、実際に見たドイツのクルップ、アメ

リカのボストン近郊にあったウォルサムという時計会社などは、その組織が

きわめて家族的で、資本家と労働者の間に、和気あいあいとした雰囲気が

流れていた。それを見て、わたしは驚きと称賛を禁じ得なかったことが

ある。

これこそわたしのいう「道徳という道を歩む」行為が円熟したもので、

法の制定など幸いにも無意味にしてしまうことなのだ。こうなれるなら、

労働問題に気を煩わされることもないのではないか。

ところが今の社会には、こういった点に深く注意を払おうともせず、貧富の

格差を無闇やたらとなくそうと願う者がいる。しかし貧富の格差は、程度の

差はあるにせよ、いつの世、いかなる時代にもまったく存在しないという

わけにはいかないものだ。

もちろん、国民全部がみな富める者になれるのが望ましいのだが、人には

賢さや能力という点でどうしても差がある。誰も彼もが一律に豊かになる、

というのはちょっと無理な願いなのだ。だから、富を分配して差をなく

してしまうなどというのは、思いもよらない空想にすぎない。

要するに、「金持ちがいるから、貧しい人々が生まれてしまうのだ」などと

いった考え方で、世の中の人がみな、社会から金持ちを追い出そうとしたら、

どうやって国に豊かさや力強さをもたらせばよいのだろう。

個人の豊かさとは、すなわち国家の豊かさだ。個人が豊かになりたいと

思わないで、どうして国が豊かになっていくだろう。国家を豊かにし、

自分も地位や名誉を手に入れたいと思うから、人々は日夜努力するのだ。

その結果として貧富の格差が生まれるのなら、それは自然の成り行きで

あって、人間社会の逃れられない宿命と考え、諦めるより外にない。

とはいえ、常に貧しい人と金持ちの関係を円満にし、両者の調和を図ろうと

努力することは、もののわかった人間に課せられた絶えざる義務なので

ある。

それなのに、「自然の成り行きだし、人間社会の宿命だから」と、流され

るがままに放置してしまえば、ついには取り返しのつかない事態を引き

起こしてしまうのも自然の結果なのだ。だから、わざわいを小さいうちに

防ぐ手段として、ぜひとも「思いやりの道」を盛り上げていくよう切望

する。

 

● 険悪

 

1. 表情や性質がとげとげしくなること。また、そのさま。

  「険悪な顔つき」

2. 状況などが悪化して油断ができないこと。また、そのさま。

   「険悪な空模様」「両国の関係が険悪になる」

 

● クルップ

 

フリードリヒ・クルップが1822年に設立。

以後、一族が鉄道や武器製造などで財閥を築いた。

 

● ウォルサム

 

1850年にボストンの郊外ウォルサムで設立された時計会社。

 

 

 

この続きは、次回に。

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