お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」㊼

□ 果たして誰の責任なのか

 

世の中の人は、どうかすると明治維新以後の商業道徳は、文明の進歩に

肩を並べられず、かえって退歩してしまったという。しかし、わたし自身は、

「どうして道徳が退歩、ないしはすさんでしまったのだろう」とその理由が

わからずに苦しんでいるのだ。

たとえば昔の商業業者を、今日の商工業者と比較してみれば、一体どちらが

道徳観念に富み、どちらが信用を重んずるといえるだろうか。

わたしは、今日の方が昔よりもはるかに優っているとためらいなく断言

できるのだ。

しかし一方で今日、他のモノが進歩したようには道徳が進歩していない、

というのは前にも述べた通りだ。この点、わたしは世間の説に反論しよう

とは思わない。ただし、そんな社会で商業活動しようとするなら、「商業

道徳が進歩していない」といった世間の評判がなぜ生まれてしまうのか

理由をよくよく考え、一日も早く道徳が、物質的な文明の進歩と肩を並べ

られるようにしなくてはならない。

そのためには、前にも述べたような「修身」—-自分を磨くという方法を

使って、道徳を説いていくのが先決問題であろう。しかしそれも、特別な

工夫や方法を必要とするわけではない。ただ日常の経営において、自分の

身を磨くよう心掛けていけば十分なのだから、それほどむずかしいもの

ではない。

この点に関しては、明治維新以来、物質的な文明が急激に発展をしたのに

対して、道徳の進歩はそれに追いついてこなかった。

そこで人々は、この不釣り合いな現象に注目して、商業道徳が退歩して

いると考えたと見ることもできるだろう。そうであるならば、社会主義の

ための道徳を身につけるように心を用い、物質的な進歩に匹敵するレベル

まで向上するのが目下の急務には違いない。

しかしこれを違う一面から考えてみよう。単に外国の風習ばかりを見て

すぐにそれを我が国に応用しようとすれば、無理なことも出てきてしまう。

国が違えば、「何が正しいのか」「何が歩むべき道なのか」という考え方は

自然と違ってくるものだ。だから、その社会の組織や風習をよくよく観察し、

そこに祖先以来の素養慣習を照らし合わせて、その国、その社会に合う

ような道徳の考え方を育てるよう努力しなければならない。

一例を挙げるなら、「父親から呼ばれれば、返事をするまでもなく立ち

上がる」「君主から呼び出されれば、駕籠が到着するのを待たずに出発

する」といった言葉が『礼記』と『論語』という古典のなかにある。

これは日本人の君主や父に対する道徳の考え方そのままなのだ。

父親に呼ばれればすぐに立ち上がり、君主に呼ばれれば状況に関係なく

すぐに駆けつけるのが、古来日本の武士の間で自然に育まれた一種の習慣

だった。ところが、これを個人本位の西洋の考え方と比較してみると、

その違いは大変な者になってしまう。西洋人がもっとも尊重する個人の

約束も、君主や父の関係の前では、捨てて顧みなくてよいことになって

しまうのだ。

日本人は、君主に忠実で、国を愛する気持ちに富んだ国民として称賛されて

いる。要するにその国独自の習慣がそうさせているのだ。

つまり日本と西洋とでは、重要だと考えているものが違っている。

それなのに、その原因をよく考えようともせず、表面的な観察ばかりに

走り、「一般的に日本人の契約概念は不確実だ」「商業道徳は劣っている」

などと非難するのは、理屈が通っていないように思われる。

このように論ずるからといって、わたしはもちろん日本の商業道徳の現在に

満足しているわけではない。

いずれにせよ、近頃の商工業者に対して「道徳の考え方が薄い」とか

「自己本意にすぎる」といった論評がなされるのは、商売に携わる者が

お互いに気をつけなければならないことだ。

 

● 退歩

 

あともどりすること。 能力や技術などが以前より低くなること。

後退。 「記憶力が退歩する」⇔進歩。

 

● 素養

 

ふだんの練習や学習によって身につけた技能や知識。たしなみ。

「絵の素養がある」

 

● 慣習

 

1. ある社会で古くから受け継がれてきている生活上のならわし。

    しきたり。「古い慣習を破る」

2. 慣れること。習慣となるようにすること。

 

● 称賛

 

褒めたたえること。「称賛の的 (まと) 」「称賛すべき行為」

 

 

 

 

この続きは、次回に。

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