お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」㊿-1

□ 現代教育の得たもの、失ったもの

 

昔の青年と今の青年とは、昔の社会と今の社会が異なっているように、

異なっている。わたしが二十四、五歳のころ—-ちょうど明治維新前の

青年と、現代の青年では、その境遇や教育がまったく違っているので、

どちらが優ってどちらが劣っているといったことは一口には言えないと

思うのだ。ところが一部の人たちは、「昔の青年は意気もあり、抱負

あって、今の青年より遥かに立派だった。今の青年は軽薄で元気がない」

などといっている。私は、一概にそうとばかりは言えないのではないかと

考えている。なぜかといえば、昔の数少ない偉い青年のなかにも立派な

者もいれば、昔の青年のなかにも立派でない者もいた。

明治維新前の「士農工商」の階級はきわめて厳格なものだった。

まず武士のなかにも、「上士(じょうし)」と「下士(かし)」という階級が

あった。さらに百姓や町人の間でも、代々その土地の資産家で村のまとめ

役だったような家柄と、そうでない家柄と、そうでない家柄の者とでは、

自然とその気風や教育に異なる点があった。このような状況だったので、

昔の青年といっても、武士や上流の百姓町人とでは教育も違っていたのだ。

昔の武士や上流の百姓町人は、多くの場合その青年時代に、中国古典の

教育を受けたものだった。初めは『小学』とか『孝経』『近思録』、

さらに進むと『論語』『大学』『孟子』などを勉強した。

また一方で体を鍛えて、武士的に精神を奮い立たせたものであった。

では、一般の百姓町人はどんな教育を受けていたのかというと、きわめて

身近でわかりやすい『実語教』とか『庭訓往来』、それに加減乗除の九九

などを学んだにすぎなかった。こうした違いがあったため、レベルの高い

中国古典の教育を受けた武士は、理想も高く見識も持っていた。

一方で百姓や町人の方は、わかりやすいお稽古ごとを身につけたにすぎず、

無学な者がだいたいにおいて多かったのである。

ところが今は階級のない平等な社会で、地位や収入などに関係なく、みな

教育を受けている。つまり岩崎家(三菱の創始者)や三井家の息子も、

狭苦しい長屋住まいの息子も、みな同じ教育を受けるという状況に

なったのだ。だから、その多くの青年のなかに、品性が下劣で、学問の

できない青年が混じるのは、おそらくやむを得ないのだろう。

だからこそ、今の一般の青年と昔の少数の武士階級の青年とを比べて、

あれこれ非難するのは、当を得ないことなのである。

今でも、高等教育を受けた青年のなかには、昔の青年と比較してまったく

遜色のない者がたくさんいる。昔は少数でもよいから、偉い者を出すと

いう天才教育であった。今は多数の者を平均して教え導いていくという

常識的教育になっている。

 

● 意気

 

1. 事をやりとげようとする積極的な気持ち。気概。いきごみ。

  「その意気で頑張れ」「人生意気に感ず」

2. 気だて。気性。気前。

  「心のむさきを―のわるきなど言ふ」〈色道大鏡・一〉

3. 意地。いきじ。

  「張り少くて―も足りず、軽薄なれば」〈難波物語〉

 

● 抱負

 

心の中にいだいている決意や志望。「抱負を語る」

 

● 軽薄

 

1. 言葉や態度が軽々しくて、思慮の深さや誠実さが感じられないこと。

    また、そのさま。「流行にとびつく軽薄な男」「軽薄な口調」

2. 人の機嫌をとること。また、その言葉。おせじ。ついしょう。

  「なにも、姉御の前だからとて―を云うではありませぬが」

   〈露伴五重塔

3. 物が軽くて、うすいこと。また、そのさま。

  「金石は重厚なり、羽毛は―なるが故に」〈暦象新書・中〉

 

● 上士(じょうし)

 

1. 徳があり、すぐれた人。

2. 身分の高い武士。⇔下士

3. 菩薩 (ぼさつ) の異称。

 

● 下士(かし)

 

1. 「下士官」の略。

2. 身分の低い武士。下級武士。⇔上士

 

● 小学(しょうがく)

 

子供向けの儒学の教科書。南宋の朱熹の門人である劉子澄の編述。

中国宋代に、朱熹 (しゅき) の門人劉子澄 (りゅうしちょう) が編集した

初学者用の教科書。全6巻。1187年成立。

日常の礼儀作法や格言・善行などを古今の書から集めたもの。

江戸時代に用いられた。

 

● 孝経(こうきょう)

 

「孝」の重要性を説いた儒教教典の一つ。

 

● 近思録(きんしろう)

 

宋代に興った新しい儒学の教えを、南宋の朱熹と友人の呂祖謙が

初心者向けに編んだもの。

 

● 実語教(じつごきょう)

 

中国古典の格言を日本で初心者向けに編んだもの。

平安時代頃に成立。

 

● 庭訓往来(ていきん おうらい)

 

二十五通の手紙の文例からなる初学者向けの文章規範。

室町時代頃に成立。

 

 

 

この続きは、次回に。

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