お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」㊿-2

昔の青年は良い師匠を選ぶということにとても苦心していた。

有名な熊沢蕃山は、中江藤樹のもとへ行って、「門人にして下さい」と

お願いしたが許されず、三日間その軒先から動こうとしなかった。

藤樹もその熱意と真心に負けてついに門人にしたというほどだ。

他にも、新井白石木下順庵、林羅山と藤原惺窩の関係など、みなよき

師匠を選んでその学問を習い、徳を磨いたものだった。

ところが現代の青年の師弟関係はまったく乱れてしまって、うるわしい

師弟の交流があまり見られないのはとても憂うべきことだ。

今の青年は師匠を尊敬しない。学校の生徒など、その教師をまるで落語家か

講談師のように見ている。「講義が下手だ」とか「解釈が劣っている」

とか、生徒としてあってはならないような口を利いている。

これを違う側面からみれば、学科の精度が昔とは違い、多くの教師に

接するためもあるのだろう。しかしそれにしても今の師弟関係は乱れて

いる。と同時に、教師の方も自分の教え子を愛していない嫌いもあるのだ。

要するに、青年はよい師匠に接して、自分を磨いていかなければならない。

昔の学問と今の学問とを比較してみると、昔は心の学問ばかりだった。

一方、今は知識を身につけることばかりに力を注いでいる。また、昔は

読む書籍がどれも「自分の心を磨くこと」を説いていた。だから、自然と

これを実践するようになったのである。さらに自分を磨いたら、家族を

まとめ、国をまとめ、天下を安定させる役割を担うという、人の踏むべき

道の意味を教えたものだった。『論語』にも、こんな言葉がある。

「親を大切にして目上を敬う人間が、上の者に逆らうことはめったにない。

上の者に逆らわない人間が組織の秩序を乱すことはありえない」「君主に

仕えて、その身をよく捧げる」つまり、親や目上をまず大切にすることを

教えたのだ。さらに、

 

「仁」—ものごとを健やかに育む

「義」—みんなのためを考える

「礼」—礼儀を身につける

「智」—ものごとの内実を見通す

「信」—信頼される

 

という五つの道徳を押し広げていくことで、同情する心や恥の気持ちを

人に抱かせ、礼儀やケジメ、勤勉で質素な生活を尊重するよう教えたもの

だった。だから、昔の青年は自然と自分を磨いていったし、常に天下国家の

ことを心配していた。また、かざりけがなく真面目で恥を知り、信用や

正義を重んじるという気風が盛んだった。これに対して、今の教育は知識を

身につけることを重視した結果、すでに小学校の時代から多くの学科を

学び、さらに中学や大学に進んでますますたくさん知識を積むように

なった。ところが精神を磨くことをなおざりにして、心の学問に力を

尽くさないから、品性の面で青年たちに問題が出るようになってしまった。

そもそも現代の青年は、学問を修める目的を間違っている。

『論語』にも、「昔の人間は、自分を向上させるために学問をした。

今の人間は、名前を売るために学問をする」という嘆きが収録されている。

これはそのまま今の時代に当てはまるものだ。今の青年は、ただ学問の

ための学問をしている。初めから「これだ」という目的がなく、何となく

学問をした結果、実際に社会に出てから、「自分は何のために学問して

きたのだろう」というような疑問に襲われる青年が少なくない。

「学問をすれば誰でもみな偉い人物になれる」という一種の迷信のために、

自分の境遇や生活の状態も顧みず、分不相応の学問わしてしまう。

その結果、後悔するようなことになるのだ。だからこそ、ごく一般の青年で

あれば、小学校を卒業したら自分の経済力に応じて、それぞれの専門教育に

飛び込み、実際に役立つ技術を習得すべきなのだ。また、高等教育を受ける

者でも、中学時代に、「将来は、どのような専門学科を修めるべきなのか」

という確かな目的を決めておくことが必要になってくる。

底の浅い虚栄心のために、学問を修める方法を間違ってしまうと、その

青年自身の身の振り方を誤ってしまうだけではなく、国家の活力衰退を

招くもとになってしまうのである。

 

● 熊沢蕃山(くまざわ ばんざん)

 

[1619~1691]江戸前期の儒学者。山城の人。名は伯継。

字 (あざな) は了介 (りょうかい) 。別号、息游軒。中江藤樹陽明学

学び、岡山藩主池田光政に仕えた。晩年、政治批判で幕府に疎まれ、

幽囚中に病死。著「大学或問 (わくもん) 」「集義和書」「集義外書」

「源氏外伝」など。

 

● 中江藤樹(なかえ とうじゅ)

 

一六〇八〜一六四八 江戸初期の陽明学者。近江聖人と呼ばれた。

 

● 新井白石(あらい はくせき)

 

[1657~1725]江戸中期の儒学者・政治家。名は君美 (きんみ) 。

木下順庵の高弟。6代将軍徳川家宣 (いえのぶ) に仕えて幕政に参与し、

朝鮮通信使の待遇簡素化、貨幣改鋳などに尽力。

著に「藩翰譜」「読史余論」「西洋紀聞」「古史通

折たく柴の記」など。

 

● 木下順庵(きのした じゅんあん)

 

一六二一〜一六九八 江戸初期の朱子学者。

五代将軍綱吉に取り立てられ、優秀な弟子を輩出した。

 

● 藤原惺窩(ふじわら せいか)

 

[1561~1619]安土桃山・江戸初期の儒学者。播磨 (はりま) の人。

冷泉 (れいぜい) 家の出身。名は粛。字 (あざな) は斂夫。

初め相国寺に入ったが、のち還俗 (げんぞく) 。

朱子学を究め、門人から林羅山松永尺五らを輩出した。

著「四書五経倭訓」「惺窩文集」など。

 

 

 

この続きは、次回に。

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