お問い合せ

現代語訳「論語と算盤」⓵

□ 偉人とその母

 

女性というのは、昔の封建時代のように無教育のままにしておき、馬鹿に

したような扱い方をしていればよいのだろうか。それとも、ふさわしい

教育を受けてもらい、自分を磨き、家庭をまとめるといった人としての

道を教えなければならないのだろうか。

これはいちいち口に出さなくてもよいわかりきった問題であって、女性

だからといって教育をおろそかにするようなことがあってはならない。

この点について、私はまず女性の天職ともいえる子供の育成という観点

から、少し考えてみる必要があると思っている。

一般に、女性とその子供とは、どのような関係を持っているのだろう。

これを統計的に研究してみるなら、多くの場合、善良な女性からは善良な

子供が生まれ、優れた夫人の教育によって優秀な人材ができるものである。

そうだとするなら、女性を教育してその知恵や能力を花開かせ、女性と

しての道徳を育んでいくのは、教育された女性本人ばかりでなく、間接的

には善良な国民を育てるもととなるのだ。だから、女性教育はけっして

いい加減にできない。ということになる。いや、女子教育を重視すべき

理由はそれだけではない。わたしはさらに、女子教育が必要な理由を次に

述べてみようと思う。

明治以前の日本の女性教育は、もっぱらその教育を中国思想に取ったもので

あった。中国の女性に対する考え方は消極的で、女性は純潔を守れ、従順で

あれ、細かい目配りを利かせろ、優しく美しくあれ、耐え忍べと教えていた。

このように精神的な教育を施すことに重点を置いたにもかかわらず、知恵

とか学問とか、理論とかいった方面についての知識を奨めたり、教えたり

しようとはしなかった。

日本の江戸幕府の時代の女性も、主にこの考え方のもとに教育されたもので、

貝原益軒の『女大学』はその時代における唯一最上の教科書であった。

その内容といえば、知恵の方はすっかりなおざりで、消極的でつつましく

いることばかり重視されていた。そして、こんな教育をされてきた女性が

今日の社会の大部分を占めているのだ。

明治時代になってから女性への教育も進歩したとはいえ、まだこうした

新しい教育を受けた女性の勢力はわずかでしかない。

社会における女性の実体は、『女大学』から出ていないといっても過言

ではないだろうと思う。だから、今日の社会で女性教育の過渡期である

から、その仕事に携わる者は、何がよくて何が悪いのかよくよく議論の

うえ判断し、かつ研究しなければならない。ましてや、昔いわれていた

「腹は借りもの」—-子供さえ、産んで仕舞えば女性に用はないといった

ことは口にできず、してはならない今日、女性を昔のように馬鹿にしたり、

あざ笑ったりすることはできないと考えるのだ。

この点で、キリスト教的な女性に対する態度はさて措いても、人間の踏む

べき正しい道に訴えて、次のようにわたしは唱えたい。

女性を道具視してはならないし、人類社会において男性が重んじられて

いるように、女性も重んじられなくてはならない。女性も社会を組織する

うえでその半面を負って立つ者だからだ。中国の昔の哲学者たちも、

「男女が同じ部屋にいて家族となるのは、人として基本的な義務である」と

指摘している。

いうまでもなく、女性も社会の一員であり、国家の構成要素なのだ。

だからこそ、女性に対する昔からの馬鹿にした考え方を取り除き、女性

にも男性と同じ国民としての才能や知恵、道徳を与え、ともに助け合って

いかなければならない。

そうすれば、今までは五千万の国民のうち二千五百万しか役に立たなかった

のが、さらに二千五百万を活用できることになるのではないか。

これこそ、大いに女性への教育を活発化させなければならない根源的な

理屈なのだ。

 

● 封建時代

 

封建制度が国家や社会の基盤となっていた時代。

一般に、日本では鎌倉時代から明治維新までの武家政治の時代をさし、

ヨーロッパでは6世紀ごろから15世紀末ごろまでをさす。

また、漠然と中世全体をいう場合もある。

 

● 天職

 

1. 天から授かった職業。また、その人の天性に最も合った職業。

  「医を天職と心得て励む」

2. 天子が国家を統治する職務。

3. 遊女の等級の一。大夫の次の位。天神。

 

● 貝原益軒(かいばら えきけん)

 

[1630~1714]江戸前期の儒学者・本草学者。福岡藩士。名は篤信。

薬学を学び、朱子学を奉じた。教育・歴史・経済の面にも功績が多い。

著「養生訓」「慎思録」「大和本草」など。

 

● 女大学

 

江戸中期以降広く普及した女子用の教訓書。

貝原益軒の「和俗童子訓」をもとに後人が抄出したとされる。

享保年間(1716~1736)ごろ刊。

女子の修身・斉家の心得を仮名文で記したもの。

 

 

 

この続きは、次回に。

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